人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

子供の頃の夢はCA

その夢は大人になったらいつの間にか消えた

 英語が使えたら何をしたいですか?と聞かれたら、以前なら迷わずキャビンアテンダントでCAになりたいと答えるだろう。思えば、子供の頃の夢はCAになることだった。だがそれは単なる子供の思い付きで、真剣味など微塵もなく、たわいもない思いつきだった。たぶんテレビドラマや漫画の影響もあって、制服姿がカッコイイとか、ただで、いや、仕事で外国に行けるからだった。この時点で、飛行機は国内も飛んでいるのも関わらず全く眼中にないわけだ。いつでも外国に行けて?仕事なのにショッピングも食べ歩きも楽しめるなんて、一石二鳥ではないか。なんだか楽しそう?でよさそうな魅力的な仕事に思えた。それに私は英語が好きだったし、本気で目指してもよかったのではないか。だが、残念ながら、本気でなりたいと思ったわけでもなく、なんとなくなのだから気持ちが続かない。

 自分でも知らないうちに、CAになりたいという思いはどこかに行ってしまった。そういえば、誰かが「CAは容姿端麗で、背が高くなきゃなれないのよ」だなんて言っていた気がする。だが、そんなことですぐ諦めるようなら、なれるはずもないし、情熱が足りないのだ。世界中を飛び回るCAはクラスの女の子たちの憧れだった。皆がそう思うなら、私だってCAになりたい、そんなたわいもないことだった。思うだけなら自由で無責任に何にでもなりたいと言えるのが、子供の特権だ。

 大人になってCAになりたいと思っていたことなどすっかり忘れていた。そんな私も海外旅行に行くようになって彼女たちの仕事ぶりを目の当たりにすることなった。飛行機が離陸すると、しばらくして、ざわざわとし始める。飲み物のサービスの準備のためで、通路を忙しそうにカートが行き交う。すぐに前方の席から順番に飲み物が配られる。その後で食事のトレーが続くのだが、彼女たちは実に手早く仕事をこなしていた。私の習字の先生は「あの人たちの仕事って、どう見ても肉体労働じゃない」なんて言っていた。その時は「それは何でも言いすぎだよ」と内心思っていたが、今思うと「言えている!」のである。

 私の偏見かも知れないが、日本のCAさんたちは皆容姿端麗でおしとやかな人たちのように見える。だが海外旅行で出会った外国のCAさんたちは美しさよりも体力と笑顔で勝負していた気がする。飛行機が揺れてもビクともしない頑丈な身体を持ち、嫌な客にツッコミを入れられても機転を利かせ、ジョークで返して笑い飛ばしていた。そんな彼らを見ていたら、CAに必要なのは体力と笑顔なのだと痛感した。それにサービス業なのだから、人と接するのが好きではないと苦痛に感じてしまうだろう。ビールを飲んで酔っ払ってしまっているのに、それでもCAにもうひと缶くれと要求する乗客をやめるように説得しなければならないこともある。その人は隣の乗客にも話しかけてきて酒は飲めないと断っているのに無理やり飲ませてしまった。全く迷惑な乗客ではあるが仕事なのだから対応しなければならない。

 もう何年も前に沖縄に旅行に行ったとき、着陸寸前の飛行機の中で子供の具合が悪くなった。私のすぐ近くの席に座っていた小学校低学年ぐらいの女の子だった。どうやら気持ちが悪くなって嘔吐してしまったらしい。着陸前の気圧の変化で耳が痛くなってしまうことがよくあるが、その子の場合は乗り物酔いのような症状だった。突然のことで母親は気が動転して、途方に暮れていた。手元にあったハンカチで子供の口元や衣服を拭いてやってはいるが、辺りには悪臭が漂い始めた。当然のことながら、座席も嘔吐物で汚れてしまっている。近くにはCAがちゃんと立っていて、母子の様子を静かに眺めていた。普通こんな時には飲食店なら、店員が駆けつけてきてくれるのものなのだろうが、機内ではその常識は通用しないらしい。

 それでも母親はCAに「すみませんが、何か拭くものを頂けませんか」と必死に訴えた。少ししてから戻ってくると、そのCAは穏やかな微笑を浮かべながら、おしぼりを差し出した。「あのう、座席を汚してしまったんですけど、どうしたらいいですか」母親は目の前の惨状が気が気でならない。だが、彼女の答えは「そのままで結構ですから、問題ありません」だった。

 

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