人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ご近所付き合いに想う

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なんだか怪しい人にならないためにも交流をしよう

 昨今はコロナ禍で在宅時間が増えているために、騒音などの近隣トラブルが増えているそうだ。それと言うのも隣人間の付き合いが全くなく、どんな人が住んでいるのかさえ知らないからだ。普段から挨拶や立ち話をしていれば、ちょっとした音がしたとしても、目くじら立てることはないと思う。例えば、小さな子供が走り回る音や泣き声一つでも、どこの馬の骨とも分からない見知らぬ子が原因だとわかればイラつく。でもいつも見ているあの可愛い子?なら、まあ、いいかと言う気持ちになる。状況は同じでも事情が全く異なっているわけだ。だから音を立てて迷惑をかけそうな家族がいる人は最初から予防線を張っておく必要がある。最初が肝心で、引っ越してきた時の挨拶まわりは最重要事項だ。

 それから、いつも挨拶だけで終わらず立ち話をするようするとなおいい。なにも何を話そうかと思い悩む必要はない。ほんの数分ほど誰でも気になる天気予報やたわいもない話題で十分なのだ。なるべく当たり障りのないことでいい。近所づきあいが面倒に感じることもあるだろうが、隣近所にどんな人が住んでいるか知らない方がよほど心配になるものだ。話し声が聞こえるが顔を知らないままでよいものか、プライバシー優先で人と関わらなくて本当によいのか少し考えてみる必要がある。でももしトラブルに遭遇するのが嫌なら、笑顔と挨拶は欠かさないに限る。

 昨今は自然災害が増加する傾向にあるため、自分の家族だけが無事ならそれでいいという発想は成り立たない。いずれ近所の方たちと助け合う必要に迫られる可能性が高い。近所に住む知人は以前はマンションに住まいで近所付き合いは皆無だった。エレベーターではなるべく他人と一緒に乗り合わさないようにしていた。でもいつしかそんな生活に味気なさを感じて、一戸建てを構える際にはご近所と積極的に付き合おうと決めた。家が完成した時にはご近所さんたちを招待した。今年で10年になるが子供や愛犬のおかげで人との繋がりが広がった気がすると話していた。

 一方で他人に迷惑をかけたくないし、迷惑をかけられたくないとの考えから他人と関わろうとしない人がいる。以前もテレビで有名人が隣の家と揉めて疲れ切ったと話していたのを聞いたことがある。そんな話を聞くと、”触らぬ神に祟りなし”で関わらない方がいいのではと思ってしまう。だが、そんな心配は杞憂に終わることが多い。この世の中で隣人に執着する人はそうはいないし、居たとしたらその人は変人の可能性が高い。何か貰い物があったりすると、仲のいいお宅にはお裾分けをしたりする。たいていはあちらからもお返しが返って来る。かと言って用事もないのに家に尋ねていくことなどない。何事も偶然のなせる業で、会社の帰りとか買い物の帰りとかでばったり道であったり、あるいは玄関先で出くわした時に立ち話をする程度だ。誰も皆自分の生活で忙しくしていて隣人のことに思いをはせる暇など持ち合わせていないようだ。それがいい、それでいいのだ。深くかかわらなくていいし、でもいつでも声をかけられる身近な存在なのがいい。

うちの実家は田舎にあるのだが、当然村の当番とかもあって、近所付き合いなしでは生活は成り立たない。庭で植木や花の手入れをしていれば、誰か近所の人が通りかかる。挨拶をしてたわいもないおしゃべりをするのが日課となっている。また資源ごみの日には村で決めた当番が2~3人ほど立ち会うことになっている。その時必ず出るのは野良猫が悪さをして困っているとかの話だ。野良猫は嫌われ者で、猫が嫌いない人には余計に耐えがたいことらしい。野良猫と飼い猫は本来別物であるのに、その人たちにとっては皆同じ猫に違いはない。猫は猫であって、生態は同じで憎らしい奴に変りはないと思われている。だから、自分の家で猫を飼っているとは口が裂けても言えないのだとか。野良猫の愚痴を聞きながら、ただおとなしく黙って聞いているしか無いのだと家人が嘆いていた。

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