人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

とうもろこしの思い出

今週のお題「夏野菜」

甘いはずなのに、ほろ苦い

 去年の年末に帰省した時、義姉のミチコさんが、「通販で、美味しいとうもろこしご飯を見つけたよ」と嬉しそうに話した。それを聞いた私は、「ええ!?とうもろこしなの?」と内心訝しく思った。とうもろこしは、私の中では、採りたてをすぐ茹でて食べてこそ、価値があるもの、美味しいものとのイメージがあったからだ。でも、ミチコさんが言うとうもろこしはまた別のものらしい。結局、その時は「どうしても食べたい」という気になれずに、美味しいとうもろこしの話だけで終わってしまった。

 とうもろこしはもちろん、食べれば美味しいものだと分かってはいるが、今一つ積極的に食べる気にならない。それはたぶん、子供の頃のある事件が深く影響を及ぼしていることは間違いない。あまり思い出したくもないことだが、うちの両親は仲があまり良くなかったので、しょっちゅう口喧嘩をしていた。子供ながら、父と母は相性が悪いのだと薄々感じていたし、また父が祖母に頭が上がらないのもまた不仲の原因のひとつだった。私にとってはとても優しい祖母なのに、母にはたいそう厳しかった。私は子どもながらうまいこと、祖母と母の間を渡り歩いていた。

 そんなある日、母が畑で採れた大量のとうもろこしをかまどで茹でて、台所のテーブルに置いた。茹でたての香ばしい匂いが家中に立ち込めて、思わず生唾が出た。早速とうもろこしに手を伸ばしてかぶりついた。そうなると、もう私の食欲の勢いは止まらなかった。その時私の側には父がいて、美味しそうにもりもり食べる私を見て笑っていた。とうもろこし食べ放題のごとく、食べに食べて、お腹がはち切れんばかりになったところでやっとお開きになった。ところが、その後、予想もしなかった悲劇が待ち受けていた。そう、お腹が痛くなり、しかも嘔吐までする始末。明らかに食べ過ぎだったが、後悔先に立たずだ。当の本人の私は辛く苦しい思いを十分に味わったが、問題はそれだけでは終わらなかった。

 母の怒りの矛先は側で私がとうもろこしを食い散らかすの見ていた父に向けられた。元はと言えば、私の考えなしの行動が招いたことなのだが、父は親としての責任を追及されてしまった。いくら何でも、常識ある大人なら、子供の好き放題にはしておかない。大抵のところでストップをかけるはずというのが母の意見だった。またいつものように父と母のバトルが勃発してしまった。子供ながら、”やらかしてしまった”なあというのが本音だった。

 それ以来、私はとうもろこしを見ると、警戒するようになった。見る度に子供の頃の”とんだ災難”を思い出し、食欲に誘惑されて、油断しないように肝に銘じるようになった。でも、それ程心配することもなかった。都会ではスーパーぐらいしかとうもろこしに出会えないし、またそれを買おうと言う気になることはなかったからだ。ある日スーパーに行くと、野菜売り場にいつもはお目に掛かれない人だかりができていた。一体全体これは何?とその真相を知りたくてたまらなくなった。よくよく見てみると、うず高く積まれた段ボール箱の前で皆がとうもろこしの皮を無心になって剥いているところだった。その日はとうもろこしの特売日らしく、とうもろこしを丸ごと持ち帰ったら、言うまでもなく重すぎるからだ。

 でも、ちょっと待って欲しい、とうもろこしは確かに美味しいのかもしれないが、今晩のおかずにはなり得ない。とうもろこしよりも、私にはそれが一番需要だったから。それなのに、皆のとうもろこしへの情熱は留まることを知らない。それで、私はとうもろこし好きがあんなにもいることに驚きを隠せなかった。子供の頃とうもろこしで痛い目にあった経験のある私には、とうもろこしへの愛は皆無だからだ。

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