人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

もしも子供がいたなら





子供がいないミチコさんが近頃言う独り言は

 4年前に夫を亡くし、自由に羽根を伸ばす義姉のミチコさんだが、近頃は突然何を言いだすのかと思ったら、「もしも子供がいたら、どうだっただろうか」などと私に聞く。そんなことを言われて、答えに窮する私は「子供がいたら、今のような自由な生活はできないでしょう!」ととどめを刺す。するとミチコさんはそれこそ返答に困って、具の音も出ないのだ。自分の夫である私の兄が一度も子供を欲しがらなかったこと、もしも子供が欲しければ何か言いだすのではないか、たとえば、不妊治療とかを積極的に提案するのではないかとミチコさんは言いたいようだ。

 そんなことをなぜ今更、今になって話題にするのか。兄が生きていた頃は夫婦間の諍いが絶えなくて、離婚と復縁を繰り返した。となると、おそらく今が自由気儘で何の心配もないから、言っておくがミチコさんは社交的でポジティブで、私などは想像もできないほどの呑気な性格だ。それで、過去の結婚生活での不可解な点を持ち出して、あれやこれやと詮索しているのかもしれない。ミチコさんの周りの高齢者は子供があっても、いやあるからこそ、思ってもみなかった気の毒な境遇に置かれている人が多い。その実態を知っていながら、たぶん興味津々なのだろう、子供がいる生活がどういうものであるか。

 私が自分勝手に想像すると、ミチコさんは子供を溺愛するタイプだと思えてならない。それは飼っている犬や猫に対する態度をようく観察してみると、そういう結果になる。例えば、犬のマルプー(マルチーズとプードルのミックス)は私がプレゼントしたパンダのボールがお気に入りだ。ボールを押すとキュッキュッと可愛い音が出るのが楽しいらしい。だが、それを飼い主のミチコさんが取り上げようとすると、普段は温厚でいい子のマルプーがたちまち豹変する。虫も殺さないような箱入り娘が突然歯をむき出しにして、ウウウ~ッと唸り声をあげてミチコさんを威嚇する。ミチコさんが驚きのあまりボールを手放すと、マルプーは安心したのか普段の彼女に戻った。今まで見たことがない怖いマルプーを初めて見て、ミチコさんは仰天した。と同時に、犬にとって飼い主の自分よりもパンダのボールが大事なのがわかってショックを受けてしまった。

 毎日世話をして、相思相愛だとばかり思っていたマルプーの心変わり?ではなくて、本心に気づいたミチコさんは、「これってどういうこと?これじゃ私の飼い主としての立場がないじゃない」と私にやるせない思いを訴える。まあ、ミチコさんとしては飼い主のプライドがズタズタになったかもしれないが、そんなことは本犬には全く関りがないのだ。マルプーの自由で、カラスの勝手で、同床異夢かもしれないが、たかが犬のことに本気になって怒っても仕方がない。

 それで、私はいっそパンダのボールを処分してしまえば、マルプーの悲しい姿を見なくて済むのではないかと提案した。だが、ミチコさんは「あれはマルプーのものだからそんなことはできない」などと言ってこだわる。大好きなボールを捨てたりしたら、可哀そうだと思っているのか、それとも後ろめたいのか、なんだか悩ましいのだ。

 後からうちの子になったノラネコ2匹に至っては、完全にお手上げ状態で、やりたい放題やらせている。最初はミチコさんも躾をしようと試みた。ネコがやたらとテーブルに上に乗るのでやめさせようと追い払うのだが、叱ってもやめようとはしない。ネコとミチコさんとの根競べが始まったが、最後にはミチコさんが負けて「まあ、いいか。疲れるからやめとこう」となって気にしなくなった。それでも、たまに殺虫剤をシュッとやる振りをすると、その音が怖いのか彼らはあっという間に逃げていく。

 ネコは誰よりも快適な場所を知っているらしく、家のあちらこちらで寝っ転がろうとする。すると、ミチコさんは彼らの行く先々に籠を置いて居場所を作ってやろうとする。おかげで実家はいつの間にかネコ仕様と化してしまった。追い打ちをかけるように、私がキャットタワーがあると、ネコたちが喜ぶのではないかなどと、言ったのでさらにネコハウス化が進んだ。ただ、犬と違って、よもやネコに何かを期待してはいないようなので、こちらはお気楽だ。ミチコさんのネコたちに対する愛は一方通行なのかもしれないが、そこはなにぶんネコのことなので何の問題も起きないのだ。

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