人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

コロナで一変した本棚の中身

今週のお題「本棚の中身」

世の中が変われば、本棚の中身も変わる!?

 本棚の中身をまじまじと見てみたら、コロナ前とは全く違うことに気付いた。以前はほとんど旅行のガイドブックやエッセイなどで溢れていたのに、今ではそっちの関係の本は一冊もない。これではまるで、さっさと海外の旅行関連の本を片付けてしまった、使えない近所の本屋みたいな風景だ。自分にとって今必要な本を手に取りやすい段の棚に置くのは自然なことだ。だからとりあえず目の前から消すのは分かるとしても、どうせ行けないのだから、目の毒でしょうとばかりに押し入れに追いやってしまったのはやり過ぎだった。当分旅行のことは考えないように、願ってもどうにも実現不可能なのだから諦めるように強制的にそうしたのだ。

 最初はモヤモヤして、どう気分転換して生きていこうかと暗中模索の状態だったが、あれから2年も経ってしまった。人間は知らず知らずのうちに不慣れな環境に順応するものだなあと今では痛感している。”気分転換には離陸が一番”と信じて疑わなかったし、またそれがなければとても生きていけそうもない、と本気で思っていた。そんな私が2年もどうにかこうにか今こうして生きている。頭がおかしくなることもなく、病気になることもなくちゃんと生きていることは、コロナ前の私からすれば奇跡のようなものだ。

 先日、押し入れを開けて、探しものをしていたら、偶然旅行関連の本を見つけてしまった。地球の歩き方ガイドブックのフランス、パリ、ことりっぷパリ等が次から次へと出てきて、懐かしさに思わず手に取ってしまった。だが、懐かしいだなんて、思い出でしかないなんて、物凄く心外だ。自分が体験した数々の出来事が、すでに過去の遺物でしかないないなんて、物凄く寂しい。このどうしようもない寂しさをどう埋めようか、方法は二つある。“去る者日々に疎し”で忘却の彼方に飛ばしてしまうか、あるいは、再び現地に行って、思い出を現実にしてしまうかのどちらかだ。

 もう必要ないかもしれないが、今でもNHKラジオのフランス語講座のテキストを買っている。ページを捲ったら、なんと口絵のグラビアはパリのエッフェル塔の写真だった。パリの街の象徴ともいえるエッフェル塔だが、近くで見たことは何度もあるが、上まで上ったことはない。「今でなくてもいいでしょう、いつでも行けるでしょう」といつも後回しだった。ルーブル美術館やオルセー、オランジェリー等に気を取られて、あの界隈に足を踏み入れたことさえなかった。グラビアのタイトルは「いつか行ける日のために」で、その言葉に正直言って、いつか?っていったいいつ?と反応してしまった。

 今の社会情勢やら、経済状況やらを考えてみると、仕事でどうしても必要でない限りは躊躇してしまうのではないだろうか。つまり、これから先のことを考えたら、旅行にお金を使うべきかどうか、しばし考えてしまうような気がする。でも、その判断も個人の何を一番優先させるかにかかっているのだから、選択肢は人それぞれにあっていい。他人にとってはどうでもいいことでも、自分にとっては大切なことは確かにある。

 生活から旅行の2文字が消滅した私の本棚は以前とは一変したものになった。中国ドラマの時代劇ものが好きな私はラジオの「まいにち中国語」を聞くのが日課になっている。それで、旅行のガイドブックの代わりに毎月のテキストがずらっと並んでいて、その中にたまに気になった単行本や文庫が数冊ある程度だ。古いこたつをテーブル替わりに使っていて、すぐ側に本棚を置いている。座ると手が伸ばしやすい棚に今すぐ必要なものを配置して、可能な限りストレスをゼロにするよう心掛けている。本棚を見ると、その人の生活がわかってしまうのは当たり前のことで、だから他人にあまりジロジロ見られると、なんだかそわそわしてしまうのも仕方ないことなのだ。

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