人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

何を書くかは自由

今週のお題「日記の書き方」

義務感に囚われず、書きたいときに書けばいい

 実を言うと、私は日記というものを書いていません。でもどうしても書きたいことや文字にして残しておきたい事件は生活の中でしばじば発生します。そんなときは、備忘録のようにどこかにメモをするという形で記録しておきます。ネットの空間で書くブログは私の中では”日記”とは言えないのです。昔ブログで日記を書くのが流行ったことがありましたが、芸能人や有名人ならいざ知らず、どこの馬の骨とも知れない人間が書くことに意味があるとは思えませんでした。もちろんあちらは当方のことなんて知るわけもないのですが、当方としては良く知っている身近な人であることに変わりはありません。だからもっとその人のことをもっと知りたいのです。だから、何時に起きて、何を食べたかとか何の変哲もないことが、何かとても輝いて見えて、楽しく感じるのです。

 その昔、友だちの間で日記を書くのが流行ったことがありました。綺麗な装丁の花柄のカギ付き日記帳に憧れて、「よし、これから毎日日記を書くぞ」と意気込みました。日記はその日にあったことを書くものですから、たいていは寝る前に書きます。最初のうちは気合を入れて、イソイソとその日の日付を書き込みます。でもそれからが問題で、さて、いったい何を書いていいのやらと頭を抱えてしまいました。「7時起床、朝食を食べて8時に家を出る。学校では特に変わったことはなく、いつもと同じ。お気に入りのラジオ番組を聞いて就寝」だなんて、面白くもないことを毎日書かなきゃならない生活にすぐに飽きてしまいました。

 考えてみると、自分の生活にそんな目立った事件など起こらないのです。どちらかと言うと、嫌な事の方が多いくらいで、もっともその頃の私は相当に現実主義者で悲観的だったようなのです。それに性格にも多々問題があって、物事を楽観的に受け入れる方法を知りませんでした。物事と言うのは受け入れる側によって見え方が違うようなのです。自分の生活がいつも同じで、一方ではそれは平和だということでとても幸せなことなのですが、当時の私はその恩恵を感じることはありませんでした。当たり前だとしか思えなかったのですから無理もありません。日記を書くという試みは敢え無く三日坊主で終わり、日記の効用に気づくわけなどありませんでした。

 海外でベストセラ―になった話題の本に「ブックセラーズ・ダイアリー」というタイトルの本があります。この本の著者は本が好きすぎて、何と古本屋を丸ごと買い取って自分で店主になってしまいました。さて、その本の中身はと興味津々でページを捲ったら、拍子抜けしました。その時の私は面白かったら買うつもりで、ちゃんとお金も用意していました。ところが紙面にあったのは「〇月〇日、今日売れたのは○○冊で合計で○○ドル」と言う日記形式の記録でした。時々使用人についての記述がある以外は延々と日々のたいして面白くないことが書かれていました。これの何が面白いのか、私は正直そう思いました。

 要するに、ちょっとした、上っ面を眺めるだけではこの本の良さを発見することはできないのです。タイトルのごとく内容はまさに「ブックセラーズ・ダイアリー」なのです。この本を最後まで読んで初めて、この書店の日々を感じ取り、店主に思いをはせることができそうです。実は私、この本を何度も手に取りながら、今日こそは買うぞと思いながらも、未だ本をもってレジに行くことができないでいます。分厚い本で、値段も2千円以上します。買えない言い訳をすると、その気にならなくて、きっと買っても積んどく状態になる可能性が高いからです。いや、間違いなくそうなので、本屋に行ってその本を見るに度に悩ましい気持ちになるのです。

 現在の私は日記という立派なものとは無縁ですが、備忘録というか、簡単なメモのようなものなら書きつけることがあります。もちろん毎日ではなく、どうしても書きたいときだけです。それは自分にとっての一大事で、たとえば、雪道で滑ってころんでしまったことや、ある朝起きたら右腕が痛くて起き上がれないとか。そんな極めて個人的なな痛~い出来事を記録しておきたいからです。それに後になって読み返すと、「ダメな奴かと思っていたけど、それなりに頑張って乗り切っているではないか」と有森裕子さんみたいに「自分で自分を褒めたあげたい」ような気持ちになれるのです。

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