人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

つくし見つけた!

今週のお題「小さい春みつけた」

探していたら、見つかるものです

 昨日、買い物の帰りにつくしを見つけました。生えている場所は市営住宅の敷地の中ですが、立ち止まれば、誰でも見られます。ちょうど舗道に面している場所なので、写真を撮っていたとしても、怪しまれることはないでしょう。折も折、昨日はカメラも携帯も持っていませんでした。突然出会えた喜びに、ただ、ただ、感動していたんです。こんな予期せぬ場所につくしが生えていることが信じられず、自分の目を疑いました。実を言うと、その時の私は、つくしのことを考えながら、目を凝らして周りを見ながら歩いていました。もちろん、つくしに出会えるなんて、露ほども思っていません。すると、何やら、細長いものが何本も地面からピンとせり出しているではありませんか。あれは、何?と訝しく思い、まさかと思いましたが、そのまま通り過ぎることなどできません。私の好奇心は最高潮に達していました。

 そうなると、まじかに見て確かめるしかありません。そこは市営住宅の集会室の裏にある、あまり日当たりの良くない場所でした。そう、少し陰になっているので、近づかないとよく見えないのです。それに、私は日常生活にはたいして困らないのですが、遠くがあまりよく見えないのです。周りにあるツツジの樹々の隙間を抜けて、敷地に入り込み、つくしと対面しました。舗道から見ると、よくわからなかったのですが、想像以上に、つくしはあるわあるわで、どうしたの?と困惑するほどでした。

 冒頭に乗せた写真は今朝撮ってきたばかりのものです。写真からわかるように、すでにつくしの頭は茶色、いいえ、白っぽくなっています。もうつくしは老体になってしまいましたが、それでもつくしはつくしです。つくしの成長は驚くほど速いようです。できれば、もっと早く出会いたかった。そんな自分勝手なことを言っているのですが、要するに、「もっと早く気づけよ」ということなのです。毎日のように通っているのに、気づけませんでした。それというのも、そこは去年は草ぼうぼうで、やたらとスギナが群生していたことぐらいしか記憶にないのです。なので、私は自然というものを甘く見過ぎていたようです。

 今回、つくしを発見できたのも、去年の秋ごろに草が刈られて、市営住宅の敷地がやたらと綺麗になったせいです。まるで別世界のような、草むらのない殺風景な景色には最初は戸惑いましたが、そのうち慣れました。できれば、来年は生え始めの頭がグリーンのつくしを見たいものです。ただ、油断していると、その時期はあっという間に過ぎて、またまた頭が茶色のつくしにしか出会えないのです。本当に、「逃すな、チャンスを」なのです。

 つくしに夢中だなんてことは決してないのです。つくしを取って食べたいとも思っていません。それに、頭が白っぽくなったつくしは摘んで食べる気にもなりません。ただ、眺めるだけで、つくしが群生しているさまを見ているだけで、満足なのです。つくしの旬を逃したのには訳があります。それは私の視線は他の別の場所に向けられていたからです。それはまたまた市営住宅の敷地で、坂道に面した土手のような場所でした。去年そこで偶然つくしを発見して以来、私の頭の中にはその場所がインプットされていました。なので、今年もと楽しみにしていたんです。でも草刈りのせいで、どうやら無理なようです。つくしの姿はありませんでした。それどころか雑草さえ生えていません。

 私は大いに落胆し、それと同時にどこかにつくしは生えていないだろうかと目を皿のようにして探し始めたんです。たいして期待などせず、歩きながら、あちらこちらに目をやっていました。そうしたら、青天の霹靂のようなもので、つくしに出会えたんです。それにしても、去年は確かに何もなかった場所にどうしてつくしが生えているのか、不思議でなりません。考えてみると、雑草だってそうで、去年生えていたところに同じようにまた生えるかと言うとそうでもないのです。つくしは神出鬼没の植物なんでしょうか。

 

 

 

 

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