人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

認知症患者との付き合い方

本人は自覚なし、なので大目に見ることが大事

 実家に犬一匹、猫二匹と自由に暮らす義姉のミチコさんが嘆いている。悩みなど皆無だと思っていたら、世話好きで、社交的な性格が禍していた。隣に住む90歳近い老婦人から何かと頼られて、なんだかんだ面倒を見ていた。嫌なら「ちょっと忙しいから」とか言い訳をして、断ればいいし、相手にしなければいいのだが、断れない性格だから仕方がない。まあそれくらいならいいかとすぐに首を突っ込んでしまうせいで、何かと窮地に陥ってしまうのだ。以前は携帯電話のメールのやり方を教えてと頼まれてたことがあった。少し考えれば、そんなことは息子や嫁という家族も居るのだから、彼らに聞けばいいと思うのだが、それはできないらしい。それで、ついつい気さくで、何でも話せる、暇そうな?ミチコさんに助けを求めてしまうのだった。

 頼られたら、放ってはおけないミチコさんは「私もそんなに詳しくはないけれど・・・」と熱心に教えてあげる。だが悲しいかな老婦人は「わかった」とはなかなか言ってはくれない。なので、何度も何度も同じことをやって見せて、操作の仕方を説明するのだが、「じゃあ、自分でやってみて」と言うとできない。それでもなんとかメールができるまでにはなったので、ミチコさんはやっと老婦人から解放された。玄関の上りはなに座って、長時間なんだかんだと老婦人に付き合っていたら、腰が痛くなってしまったと嘆いていた。

 だが、最近老婦人の認知症が以前よりも進んだようで、また悩みが一つ増えたようだ。それは実家がある地域では昔から、故人の月命日にお寺のお坊さんにお経を読んでもらう習慣があって、そのことに関することだった。例えば、うちの実家では兄の月命日は27日なので、毎月その日は村にある寺の住職が見えることになっている。隣の老婦人の家は6日と決まっているのだが、ある日住職が「その日になると必ず朝電話がかかってきて、今日は都合が悪いから別の日にして欲しい」と言われるとミチコさんに愚痴を言ったらしい。詳しく話を聞いてみると、老婦人は別の日を指定するのだが、その日に行くと留守のことが多い、まあ、留守と言っても週に3回のデイサービスの日だとは見当が付く。当然とばかりに家に尋ねて行けば、「今日は都合が悪い」とか「今日は来る日じゃないはずだけど」と言って断られてしまうのだ。

 そんな有様だから住職はここ数カ月は老婦人の家に行く機会を逃していた。住職自身は言われたままに、本人の希望通りにしているだけで、何一つ落ち度はないのに、老婦人には変な奴だと白い目で見られている。相手は自分の言ったことを完全に忘れてしまっているようで、自分が正しいと信じているのだから、文句を言うわけにもいかない。住職は隣の老婦人とどう接したらいいのか悩んでいて、その悩みをミチコさんに話して共有してもらいたかったようだ。悩みをお裾分けされた形になったミチコさんは、老婦人から日頃聞かされていることを思い出した。「あの人(お寺の住職のこと)はなんだかんだとゴチャゴチャと訳の分からないことを言っているから、本当に困る」と老婦人は嘆いていたのである。

 住職はミチコさんに「月命日の6日になったら、ちょっと隣の家の様子を見に行ってもらえないだろうか」と頼んだこともあった。でも実際にミチコさんが本当に見に行こうとすると、「やっぱり、もういいから」と止めるのだった。老婦人に翻弄されっぱなしの住職だったが、よく考えてみると、相手は悪気があってやっているのではないことは明かだ。認知症という病気なのだから、誰のせいでこうなったなどと、責任を追及しても始まらない。相手を「本当はあなたが悪いのですよ」と責めてどうにかなる問題でもなく、もっとも住職の潔白は証明されるかも知れないが、そんなことは何の役にも立たないのだ。ここは自分が悪者になって、相手を大目に見る必要があると住職は悟った。

 それで住職は月命日の6日には必ず老婦人の家を尋ねることにした。行って見て、留守だったらそれでいいし、断られたら断られたでそれでいいと開き直ることにしたのだ。もしも「どうして来たの?」と訝し気に言われたら、「勘違いしちゃって」と誤魔化せばいいだけのことだ。それでその月の御勤めは終わりにする。自分の都合で日にちを変更することは老婦人をさらに混乱に陥れるだけなので、極力避けることにしていると言う。

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