人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

猫の貰い手見つかりました

2匹とも引き取ってくれる、そんな奇特な人が

以前にも既述したが、お寺の敷地に住み着いた野良猫の子供2匹の話をしたい。昨日あれからどうなったのか、気になって実家に居る義姉のミチコさんにメールをしてみた。「子猫を貰ってもらう話、あれからどうなったの?」。すると、すぐにスマホの発信音が鳴った。やれやれ、近頃はメールがまどろっこしくなったのか、携帯のプランを月額3千円のかけ放題にしたせいで、電話での返答しかしない。早速本題に入って、あの仔猫たち2匹の運命やいかにと聞いてみる。

 すると、ミチコさんは明るい声で「見つかったよ」と言うのでなんだか拍子抜けした。意外にもあっさりと問題が解決したからだが、話を聞いてみると目から鱗だった。事の成り行きは次のようなことだ。先日、子猫の貰い手を捜していた住職のお寺に檀家さんたちが集まる機会があった。その時に仔猫たちがいつものように敷地をウロウロしていたようで、それをみた檀家さんの子供が、「可愛い!」と言ったことからすべてが始まった。

 二匹の仔猫たちはお盆に私が見たときは、確か体長20㎝程度で、仔猫のわりにはだいぶ大きくなっていた。一匹は白と茶色のブチ、もう一匹は三毛猫で、二匹とも顔に墨など付いていない綺麗で可愛い顔をしていた。こういう顔はどこかで見たことがあるなあと思ったら、実家に居るねこ(上記の写真)の小さい頃にそっくりだった。この子たちなら絶対貰い手はあるだろうが、身体があまり大きくなったら、悲しいことだがその可愛さが失われてしまうのではないかと危惧していた。

 幸運なことに、”救いの神”が現れてそんな心配は杞憂に終わった。お盆に体長20㎝だった仔猫たちはあれから2か月経って、今ではずいぶん大きくなったことだろう。それでも檀家の子供は仔猫たちを気に入ったらしい。そこでふと疑問に思うのだが、大人というものは、自分の子供がネコを可愛いと言ったところで、そんなに気にするだろうかということだ。たいていはふ~んとスルーして、終りになるのがおちだ。子どもが欲しいと意思表示したわけでもないのに一緒に居た父親は即決し、「それでは貰いましょう」となった。それもどちらか一匹というのではなく、二匹とも、なのだから仰天した。何と太っ腹なのだろう、まとめて面倒見てくれるとは。今どきこんな奇特な人がいることにただただ驚く。本当に世の中は”捨てる神あれば拾う神あり”なのだ。

 寺の住職も思わぬ幸運に笑みを隠しきれなかったが、「本当にいいの?」と相手に確認したそうだ。悩みが一気に解決したので、今度は猫の避妊手術をしなければとミチコさんのところに相談に来た。ネコの避妊手術の費用の相場は3万円だが、ミチコさんが通っている動物病院なら、一万円で済むと言う。それで来週にもネコの手術のためにミチコさんは住職に付いて行くことになった。動物病院の場所が家の近所ではなく、橋を渡った先にある隣県だからだ。

 ミチコさんと電話で話していて、私は「子供が気に入ったのはいいのだけど、世話をするのは大人でしょう。その大人はちゃんと世話ができるの?」と思いついたことをそのまま言ってしまった。すると、ミチコさんはすでにそのことは住職にも伝えたし、また住職もその後のことが心配になって相手に確認済みだと答えた。子猫たちを貰ってもらえることが決まって、ホッとしたら、今度はその後のことが心配でたまらない。なにぶん野良猫だから、家から逃げ出してしまうのではないかとか、その家に馴染めなかったらどうしようかとかあれやこれやと気を揉んでしまうのだ。

 実はミチコさんはあれから夢を見たそうだ。その夢がまたとんでもない夢なのだが、思い出すたびにワクワクドキドキで胸が躍ってしまう。ある時、ミチコさんは何やら黒い袋が置いてあるのを見つけた。その袋は高級そうな生地でできており、カサカサという音がしたかと思ったら、何と飛び出してきたのはネコだった。またそのネコがそこら辺に居るただのネコではなく、垂れ耳のスコティッシュフォールドだった。いや、あの変顔というか、おじさん顔をした、エキゾチックショートヘアだったかもしれない。どうしてこんな所に置いてある!?のだろうと思ったが、もし捨ててあるとしたら、そんな訳ないのだが、あわよくば自分で飼ってもいいか。どう考えても、放って置くなんてもったいないと思ってしまった。要するに、こんな時にミチコさんのもったいない症候群が出現したのだ。

 今家に猫が二匹居るけど、もう1匹ぐらいいてもいいか!?だなんて、寺の住職に「家にはもう2匹居るから、引き取れない」と断っておきながら、どういうこと?でも確かに夢の中のミチコさんはそう思ったそうで、現実にそうなったらどうするかは分からないと言い訳をした。

mikonacolon