人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

サニーレタスからバッタ?

これは凄い幸運、というしかない

 いつものように新聞の投稿欄を見ていたら、「サニーレタスから出てきた珍客」というタイトルに目が釘付けになった。はて、珍客って何?と訝しく思い、その正体を知りたくて、早速読み始めた。投稿の主の柏佑子さんはサニーレタスを近くの農家の直売所で買って、冷蔵庫に入れて置いた。翌朝、それを取りだし、お皿に取り分けようとしたとき、”異変”に気が付いた。何だかサニーレタスがこんもりとしているのに、あれ?何だろうと思ったら、バッタが飛び出してきたので仰天した。それは緑色の5㎝程のバッタで、見るからに可愛かった。まさか、冷蔵庫のような寒い場所に一晩泊まったにも関わらず、ちゃんと生きていたことに驚いた。ひ弱に見えるのに、意外に丈夫で寒さにも強いのね、とでも思われたのだろう。

 考えてみると、柏さんがバッタに出会ったのは人間が寒さに震えていた2月のことだ。なのに、どうしてバッタがいたのだろう。あ、そうか、近頃はたいていはハウス栽培だから、人間が人工的に作り出した春に生まれたのか、などと当方は考える。それにしても、バッタの生命力には舌を巻く。もし、人間が閉じ込められたなら、きっと凍死していただろうが、バッタは生きていて、静かにじっとしていた。柏さんはかろうじて生き延びたバッタを、サニーレタスから外にある鉢植えに移してあげた。2日後見ると、バッタは玄関のドアに張り付いて、じっとしたままだ。さてどうしたものだろうかと思案した結果、アロエが置いてある暖かいビニールハウスに移すことにしたそうだ。柏さんはまるで自分の子供を心配するような眼差しでバッタに向き合っていた。突然訪れた珍客に戸惑いながらも、バッタのこれからを思うと気が気ではないらしい。

 「サニーレタスからバッタ」は新聞に取り上げられるべき珍事と言っても過言ではない。そんなバカな、と言ったらそれまでで、それがどうしたの?と言われれば、返す言葉がないが、とにかくささやかな、面白い出来事には変わりはない。それに、サニーレタスの中からバッタに出会える人なんて、そんじょそこらにいるはずもない。その意味で柏さんは奇特な人で、このような珍事に出会えた幸運な人と言ってもいいだろう。実を言うと、私はバッタがまさか生きていたとは夢にも思わなかったので余計にそう思える。

 子どもの頃、家の畑で母が家で食べるために少しばかりの野菜を作っていた。お隣の畑と違って、農薬を一切使わないものだから、畑は虫の天国で、キャベツにもホウレンソウにもとんでもなく虫がいた。それに土の中にはミミズがうようよいて、閉口した。キャベツなどは外側の葉はほぼビリビリで、穴が開いていた。青虫のやりたい放題で、正直虫は嫌いで、気持ち悪かった。もちろん青虫はあの綺麗なモンシロチョウになるのは知っていたが、それとこれとは別だった。虫と関わるのはごめんだった。そんな私が都会に出て、ある日スーパーでキャベツを買った。家に帰ってそのキャベツを茹でて、冷まして切ろうとしたら、中から青虫が出て来た。もちろん、すでに昇天している青虫だが、まさかあんなところで青虫に出会うなんて夢にも思わなかった。

 おそらく農薬を使って栽培しているは間違いないのに、なぜ青虫がいるのかと疑問が沸き上がった。少し考えてみると、キャベツに青虫がいるということは、よく言われる「安全安心な」農産物だと言ってもおかしくないのではなかろうか。何しろ、青虫が住めるほどの環境で育ったキャベツだと思うと、とたんに有難みが増してくる。そう言えば、子供の頃、家の畑で採れたキャベツを市場に母と一緒にリヤカーで持って行ったことがあった。リヤカーに積めるだけ積んで持って行ったキャベツは、何と一山たったの百円で、母と私はその場に座り込んだ。周りの葉っぱは虫食いだらけでも、肝心のキャベツは綺麗そのもので、ケチをつけられる筋合いはない代物だった。母がいくらかでも家計の足しになればとの思いから、初めて市場に持って行ったが、どうやらそれは甘い考えだった。母と私は厳しい現実を突き付けられたのだ。

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