人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

虫が好きですか?

虫が好きかと聞かれても、返答に困る

 朝日新聞の土曜版beに載っていたアンケートは「虫が好きですか」だった。読者の反応は「はい」が43%、で「いいえ」が57%だが、個人的に言うと、私もあまり好きではない。その理由はたぶん、虫と言うと、やはりあの忌々しい、できる事なら出会いたくないGを連想させるからだ。Gは冬は大人しくしているが、すこし暖かくなろうものならすぐに出没する。全く油断も隙もあったものではない。私と同様に「いいえ」と答えた方のほとんどはおそらく、あの類の虫を頭の中に浮かべて、嫌悪感を募らせているに違いないのだ。考えてみると、生活の中で、ほとほと困り果ててしまう虫はGだけではないようだ。例えば、台所に常駐している、あのどこから湧いてくるのかわからないコバエ、どうにもこうにも煩くて仕方がないので、テレビで盛んにCMが流れている”コバエコロリ”を買ってきて試してみる。小さな丸い容器の上部に穴が空いていて、そこにコバエが引き寄せられて下に落ちて昇天する、という能書きだ。CMもそうだが、「わが社の製品にお任せください」という宣伝文句を信じて買ってみた。

 だが、台所の流しでコバエが猛威を売るっているのにも関わらず、いっこうに彼らはコバエコロリに近づこうとはしない。それどころか意識的に避けているようで、明かにあれは魅力に欠けるしろものなのだ。それなのに、私が飲み残したコーラのグラスには、コバエが2,3匹溺れて死んでいた。なんたることか、薬局で680円も出して買って来たのに、結局は何の効果もないとは、なんと馬鹿なのだ、私は。でも、会社に行って、おそるおそる、皆にコバエコロリの効用をそれとなく聞いてみると、「あんなの全然効かないわよ」と宣ったので、私だけではないとホッとした。

 要するに、大人になってからの”虫”で一番に頭に浮かぶのは害虫の類なのだ。間違っても、蝶やカブトムシやクワガタなどではない。私に限っていえば、もう子供の頃のことをさっぱり忘れて、今や現実的で、夢も希望?も、いや、寂しいことだが夢が描けないのだ。自分の生活に危害をというか、快適さを脅かす虫は大嫌いなのが本音だ。虫は邪魔ものになってしまい、Gを見つけようものなら、親の仇のごとく成敗しようと躍起になる。そして、見事目的を果たすと、こんなこと大きな声では言えないが、なんだかすうっとする。虫を殺したら、モヤモヤしていた心が晴れたと言う記述に、実際にあちこちで出くわしたこともあるので、この現象は私だけではない。こんな時は生き物を殺したという良心の呵責は微塵もなく、死んで当たり前、という勝手な論理でなりたっている。自分の行為を正当化しているので、考えるまでもなく、平然としていられるのだ。

 かと言って、虫がすべて、嫌いというわけでもなく、美しい蝶やトンボが飛んでいる姿を見ているのは大好きだ。それに、元々私は田舎育ちだから、家の周りは田んぼと畑で、自然がいっぱいの場所で遊んでいた。それなりに虫は平気だったはずで、そうでないとあんな草ぼうぼうの環境で生きて行けるはずもない。手を伸ばせば捕まえられる蝶やトンボを手に取ろうと思ったことはないが、唯一バッタだけは違った。田んぼの脇道には草むらが広がっていて、そこにはバッタがいてぴょんぴょん跳ねていた。さすがに大きなバッタは手に取る気にはなれなかったが、小さな、それこそ生まれたての赤ちゃんバッタは触って見たかった。見るからに可愛いいし、捕まえて、掌のひらに乗せるとじっとしている。ちょっとの間、眺めて堪能すると、元居た場所に帰してやった。私は怖くて虫を触ることはできないが、小さなバッタだけは例外だった。

  なので、私の場合は、「虫が好きですか」と聞かれたら、正直、返答に困ってしまうのだ。

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