人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

安楽死を扱った番組を見て

自らの意志で死を選ぶということ

 土曜日の夕方テレビ番組で、安楽死について特集しているのを偶然見てしまった。ちょうど夕飯の支度をしていたのだが、思わず手を留めて、テレビの画面に釘付けになった。取材の現場はスイスのレマン湖畔にある安楽死専門の施設で、レマン湖と言えば、ローマの休日で一躍有名になったオードリーヘップバーンが住んでいた場所でもある。以前、テレビ番組で、オランダの施設を取材していたのを見たことがあるが、そこでは、まるで死の番人でもあるかのように、職員から盃くらいの容器に入った透明な液体を差し出される。「これを飲めばあなたは数秒もかからず死にます」と言われ、安楽死を望む当人はそれを受け取り、躊躇なく飲んでいた。テレビカメラは厳粛な死の一部始終を映し出し、見ている視聴者はその場面から動けない。声も出せず、ただ画面を見つめたまま呆然とするだけだった。

 一方、今回のスイスの安楽死の施設では、点滴に薬剤を入れるという手法だった。安楽死の当日に職員が、点滴のバルブを指さし、「これを外したら、あなたに何が起きるかわかりますか」と当人に確認する。すると、その人は小さく頷き、バルブに手を伸ばした。本人の希望通り、安楽死に成功したわけだが、その施設の担当医師はできれば安楽死などしないで、与えられた生を全うできればいいに決まっていると断言する。医師は安楽死を希望して施設を訪れる人たちと面談し、何か後悔するようなことはないかと尋ねる。死を選んで後悔するようではいけない。安楽死は本当の意味で苦痛から解き放たれなければならないのだから。

 この番組で印象的だったのは、父親を伴って、施設にやって来た日本人女性が、最後の最後に迷いが生じて、安楽死をやめると決断したことだった。自分が安楽死を望んだのは、自分の苦痛よりも、周りに、父親に迷惑をかけてまで生きるのが嫌だったからだ。だから、安楽死を選んだのに、その一方では自分が死んだ後にひとり残される父親のことが心配でならない。父親のことがどうしても引っかかって、安楽死するという決断に迷いがあった。なので、彼女はどんなにつらくても生きるという選択をした。

 安楽死を希望して施設にやってきて、望み通り安楽死する人は、私には全く死を恐れていないようにも見える。パーキンソン病を患うある日本人女性は、若い頃から活発で颯爽と生きてきた人だった。40歳を過ぎて、突然病に倒れたが、もうやりたいことはすべてやり切った。もう十分生きた、幸せな人生だったと言う。その人の右手はテレビの取材中もひっきりなしに震えている。今こうして生きていること自体が辛くて堪えられないと言う姿にこちらも自然と涙目になる。彼女がこのスイスの施設を選んだのは、レマン湖を観光で何回も訪れていて、お気に入りの場所だったからだ。

 彼女は自分はとても用意周到なのだと語っている。安楽死した後で、遺骨をレマン湖に散骨してもらう手はずも整えていた。実は、彼女はフランス人の恋人がいて、婚約するはずだったのに、病気でそれがダメになった。それなら自分が安楽死するのを看取ってほしいと頼んだら引き受けてくれたのに、それなのに、彼は当日は来られないと電話してきた。「人の心は変わるものだから、どうしようもありません」と寂しそうに、インタビューに答えていた。彼女は両親や友人に手紙を残して旅立った。

 法律で安楽死を認める国はまだ世界にはそれほど多くない。日本でも認めれたらどうなるかについては、番組では一つの懸念を取り上げていた。それは日本人は他の外国人とは一線を画して、人に迷惑をかけることを負担に思う人が多いという国民性があると言うことだ。自分の苦しみよりも人に迷惑をかけるのが死ぬほど辛いと考えるとしたら、安楽死を望む人が増えるのではないだろうか、と憂慮していた。人に迷惑をかけてまで生きていいものだろうか、いや、生きる価値はあるのだろうか、という発想が浮かんだとしても無理はない。まだまだ書き足りないが、続けると、とんでもないポカをやってしまいかねないので、この辺りでやめておきたい。

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