人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

果物はぜいたく品ですか

食後のデザートにしては高い

 日経の夕刊に連載されている「プロムナード」というコラムで、窪美澄さんが、「果物ってぜいたく品?」と嘆いていた。窪さんは子供の頃から、普通に果物を食べていた。果物と言っても、現在スーパーで売られているような優等生的で綺麗なそれではなくて、傷があったり、少し虫が食っていたりするようなものだった。それらは買って来たというより、庭で採れた、というか、どこにでもあるもので、決してぜいたく品ではなかった。窪さんは東京都の稲城市の出身で、私は初めて聞いたが、梨の名産地なのだそうだ。そのせいもあってか、家には少し皺が寄っていたり、市場に出せない品物がごろごろしていたらしい。それでも、十分に美味しかったと窪さんは懐かしく思っている。

 ところが、現在は果物は昔に比べると、馬鹿高くて、毎日食べたくても財布と相談すると、おいそれとは買えない。だいたい食費にかける一日の予算を考えると、果物を買ったら、軽くオーバーしてしまう。「果物って、昔からこんなに高かったっけ?」と窪さんは首を傾げる。それでも、スーパーなどでは、果物、例えば、今なら、りんご、柿の売り場では皆が真剣に品定めをしている姿を見かける。果物にあまり興味がない私などは、そんな風景を遠目に見てやり過ごす。たいして安くなっているわけでもないのに、皆どうしてそんなに果物に目がないのかと戸惑うばかりだ。

 窪さんは昔に比べて果物が高くなったとの見解だが、私にしてみれば、日本の果物は昔からずうっと高かったとしか思えない。果物は総じてみな酸っぱいので、苦手なのだが、たまに外国へ行くと、少し様子が違ってくる。要するに、これと言って他に食べる物がないので、しかたなく果物でも買って食べようかという気になるのだ。スーパーに行ってみて、仰天した、果物の値段の安さにである。それに向こうはひとつから買えるので、余計にハードルが低い。ビニール袋に小さなりんごを二つ入れて、秤にかけ、出てきたラベルを見たら、1ユーロしなかった。安さに目を見張る。ただ、果物なら何でも安いわけではなく、ベリー類は日本と同様に高い。

 窪さんはひとり暮らしだが、一カ月の食費はどう頑張っても、3,4万はかかってしまうという。ネットなどを見ると、月に一万円ほどでやりくりしているという人がいて、とても信じられない。それに関しては、私も同感で、だいたいが、何でもかんでもお金を出して買わなければどうしようもないのだから、無理というものだ。自慢にもならないが、正直言って私は節約の仕方がわからない。どうやったら、食費に使うお金を減らせるのか、考えるだけで、途方に暮れる。なので、最近は嫌になって、考えなくなっていた。要するに、献立を何にしようかなんて、考えて、悩む時間が惜しくなってきた、と言った方が正しい。私の貴重な時間がもったいない、悩んでいる時間があれば、その時間を何かもっと楽しいことに使いたい。そうなると、自然と、節約ではなくて、むしろ、自分が楽をする方に比重が掛かっているから、余計に節約とは無縁になるわけだ。

 一方の窪さんは、真面目に節約の道をまっしぐらで、日々努力しておられる。例えば、魚のアジなどは冷凍品を買ってきて、すぐ調理できるようにさばいて冷凍しているし、お菓子は買わないと決めている。それなのに、実際は結構なお金がかかってしまうことにため息が出て、食後に果物を買おうなどとは、とても思えない状況なのだ。

 考えてみると、玉ねぎやじゃがいもが安かった頃と比べると、今は”普通の生活”をすることが容易にできない時代になってしまった。以前はおかずが2品は普通だったが、現在は、お金の面から言えば、けっこう贅沢である。1か月の食費が3,4万なら、お米の分を引いたら、一日千円ぐらいだろうか。ひとりだからそれくらいで何とかなると思いたいが、昨今の物価高では、3食で千円は楽ではないだろう。食べるだけでなく、飲み物のお茶やみそ汁のみそ、だし昆布、調味料にだって、お金がかかる。すべての物にお金がかかり、それらは常にゴミの要素を併せ持っている。こんなことを考え始めると、頭がどうかなって、パンクしそうになるので、もうこの辺でやめておくとしよう。

 

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