人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

持ちつ持たれつで、堂々と

斬新な発想に隔世の感を覚える

 実を言うと、この数日間、今度行く海外旅行に何を着ていくか、服装について、ずうっと悩んでいた。いつもなら、長袖シャツの上にカーディガンを羽織って済ませていた。ダウンコートや手袋はリュックに入れて持っていけばよかったのだが、今回は3週間ほど、ある事情があって、出発日が早くなった。それで、数日前までの厳しい残暑のせいもあってか、もしかしたら、半袖で行く羽目になるかもしれないと右往左往していた。それなのに、昨日あたりから、季節は秋、いや、冬と言ってもいいくらい肌寒く感じるようになった。となると、いつものように、長袖にカーディガンという格好が妥当に思えてきた。

 ただ、カーディガンよりも、雨に濡れても撥水機能のあるジャケットの方がいいのではないか、とも思っている。これから行くウィーンは10月の最高気温が20℃程度の寒い場所だからなおさらだ。日本の季節がぐっと秋めいて来たおかげで、私の憂いが一つ消えた。ある意味、服装に迷いがなくなって、心の霧が晴れた気がする。なんと私は幸運な人間なのだろう。これで、準備については何の心配もなくなった。

 さて、話は変わって、昨日新聞を読んでいて、読者のある投稿に目を見張った。それは朝日新聞の「ひととき」欄に載っていた、「持ちつ持たれつ」というタイトルの記事だった。投稿者は横浜市の宮崎紗矢香さんという若い女性で、「今年の春に新たな命が誕生し、両親との3人暮らしが、4人になった」と書いてあった。予期せぬ妊娠だったらしく、相手の男性とは結婚しないで、一人で育てると決めた。もちろん、両親は最初は嘆き悲しんだが、今では宮崎さんの選択を支持し、全面的に支援してくれている。子供がいるのにも関わらず、結婚もしていない自分に劣等感が募ってどうしようもない。

 だが、見方を変えてみると、今の生活は「持ちつ持たれつ」ではないかと気が付いた。私はそこでハッとした、「持ちつ持たれつ」だなんて、久しぶりに聞いた言葉だったからだ。要するに、簡単に言うと、「お互い様」ということで、互いに相手の役に立っている状況を如実に表している言葉だ。後ろめたさや「申しわけない」ということを思わないで済む対等な関係を指している言葉だ。

 宮崎さんは独身で子供を産むという選択をしたわけだが、結婚もせず、実家にパラサイトしている多くの子供よりはずうっと両親を喜ばせているのかもしれない。なぜなら、彼らに孫という最大のプレゼントをあげたからだ。両親は2人とも仕事をしていて、宮崎さんは夕食の支度をして彼らを出迎える。代わる代わりに子供をあやしながら、風呂を済ませて、3人で夕食をとるのが、今の最大の幸せだと明言している。

 子供がいると、泣いたり笑ったりの賑やかな毎日が続いている。そんな日々の中で、両親と宮崎さんは、「持ちつ持たれつ」と堂々と言える関係なのだと言い切っている。世間から見れば、どう見ても、両親が娘を養っているとしか思われない。だが、自分は両親に庇護されっぱなしではなくて、ちゃんと、彼らの生活を支え、助けていると主張している。両親との関係はいわば、対等で、後ろめたさなど一切入り込むような隙間は存在しないのだ。

 投稿の文章の最後に「この日常が、かけがえのないものだと実感する」と締めくくっているが、まさにこの思いがあるからこそ、「持ちつ持たれつ」と言っても過言ではないのだろう。宮崎さんの今の幸せの中心には子供がいて、とりもなおさずその子供は彼女がもたらしたものだからだ。それを思ったら、後ろめたさや劣等感など一瞬で吹き飛ぶに違いない。世間で言うステレオタイプの幸せとは異なるが、人それぞれの幸せがあってもいいとさえ思えてくる。”雨降って地固まる”ではないが、見方を変えるだけで、意外と幸せは簡単に見つけられるものなのだ。

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