人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

葬式と小さな恋の物語

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お坊さんも周りの空気を読むの?

 先日ブログに書いた朝日俳壇「番外地」編には他にも「これ、面白すぎる」という短歌がありました。それは常連のように取り上げられていた広島県三原市の僧侶、岡田独甫さんのユーモアたっぷりの歌です。

焼香を皆が終えたらやめようと

背後気にして経読みつづく

 これには思わず笑ってしまいました、お坊さんがこんなことを考えてるのかと思ったら。てっきりご自分の仕事を決められた通り、真面目にされているとばかり解釈していたのです。いつも親戚の葬式に行って思うことは、退屈なお経が早く終わらないかなあということだけ。ふと周りを見渡すと、みんな私と同様につまらなさそうにしていました。でもお坊さんも自分が読むお経の調整をするために、周りの空気を密かによんでいたとは驚きました。では、やはり焼香の器を回すときに、人数からざっと見積もって時間を計算していたりして、などとどうでもいい想像をしてしまいます。こちらとしては足がもう限界で、このままではうまく立ち上がる自信がないわけで、そっちの方の心配ばかりしていた気がします。でも、立派なお寺にはそんな心配をしなくてもいい優れものがちゃんと用意されているのです。一見枕のような形をしているのですが、それを脚の裏に挟んでお尻をのせると嘘のように楽になりました。

ワアーワアー泣いているその訳は

 葬式と聞いて、思いだすのは偶然見つけてしまった「小さな恋の物語」のことです。あれは、たしかもう何年も前の田舎の葬式に行った時の出来事で、彼らは今では中学生になっているはずです。あの日、お寺に行ったら、母親に連れられた5~6歳ぐらいの女の子がワアーワアー泣きながら歩いていました。「いい加減にしなさい!」と母親は怒るのですが、「光くん(親戚の家の子供)と一緒に座りたいのに」と泣くのをやめません。不思議に思って、「あの子は誰なの?」と知り合いに聞いてみて、やっと泣いている理由がわかったのです。つまりお寺では故人の身内が最前列に座るので、当然近所の人たちは後ろの席になるわけです。だから女の子は大好きな光くんとは一緒に座れないので、それが悲しくて泣いていたのです。

 大人から見れば、「な~んだ、そんなことか」ですが、当の本人にとっては重大なことなのです。だって好きな人とはいつも一緒に居たいではないですか。あんなに堂々と自分の気持ちをストレートに表現できるなんて、幼さ故なのはわかりますが新鮮な衝撃を受けてしまいました。しばらくして、お墓に行くためにバスに乗り込むときに見たら、女の子の隣には光くんが座っていました。「泣いたカラスがもう笑った」ではなくて、やっと女の子は泣き止んだようです。「ねえ、僕と一緒に座りたいんでしょう?」と何気なく言う光くんに満足そうににっこり頷いていました。見たところ、光くんには女の子に対して「好き」という気持ちはなさそうですが、かといって嫌っているわけでもないようです。女の子の片思いと言ってしまえばそれまでですが、相手の気持ちなど関係ないので純粋で情熱的なのです。

 あれから、忙しさに紛れて日々を過ごし、女の子と光くんがどうなったのか知る由もありません。でもあの女の子が成長したら、あの情熱は果たしてどうなってしまうのか。消えてしまうのか、それとも変わらないのか、それを勝手に想像するだけでも楽しいではありませんか。

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