人生は旅

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雛祭りに想う女性のこと

今週のお題「雛祭り」

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 ▲これは長野県の南端・根羽村にあるネバーランドの「つるし雛」。「つるし雛」は布の切れ端で作られた人形で、形は手毬や金魚、桜や動物など様々で色鮮やか。とても珍しいので載せてみました。地名を地図帳で確認してみたら、ちゃんとありました。(3月2日の新聞の紙面から)

ひな祭りは伝統行事ですが、時代の流れで

 昨日は3月3日で女の子の健やかなの成長を祈る桃の節句でした。田舎で育った私にとってはひな祭りを友達と過ごした思い出はありません。というのも近所に女の子の同級生はいなかったし、みんな家が遠くて歩いて行ける距離には住んでいなかったからです。でも都会で子供時代を過ごした友達などは、ひな祭りで気まずい思いをしたことがあるそうです。クラスに立派なひな人形を飾り、友だちを招待してひな祭りパーティーをする子がいたそうで、最初は嬉しかった。でも仲のいい子について行っただけなので、すぐに場違いだと気付いて帰りたくなったのです。自分が知っている世界とは違う別世界はやはり居心地が悪かったのです。

  確かにひな人形は美しいし、可愛くて、私もいつまでも眺めていたいと思うのです。でも、時代が時代なので、3月3日は女の子の日ではなくて、いっそのこと女性の日と認識したほうがいいのではと思うようになりました。先日も新聞の広告で「3月8日は国際女性デー」なのだと書いてありました。それはクラシックのコンサートの宣伝で、たしかピアニストの金子美勇士さんの記事を読んだ時のことでした。ひな祭りにあまりにも近い日にちなので、どうしても意識してしまいます。それに私は、ロシアが好きで、何回もロシアに行っているので、ロシアでは3月8日が婦人の日で祝日だということを知っていました。その私が世界でもそうだったのかと初めて知って目から鱗でした。

 ロシアはレディファーストの国なので婦人の日が近づくと、モスクワの赤の広場にイベントのための特設ステージが作られます。初めて大きな看板に「婦人の日」と書かれてあるのを見たときは、「これはいったい何?」と不思議に思いました。その後、ロシアの祝祭日を調べていた時に、国民にとっては大事な日なのだということがわかって納得しました。そして、その日が日本人にとっての母の日なんてものじゃなく、ロシア人にとっていかに重要な日なのか。そのことを自分の目で体験することになるのです。あれはモスクワか寝台で朝の5時ごろサンクトペテルブルクに着いた時のことです。いくら何でもホテルに荷物を預かってもらいに行くのは早すぎると思いました。それで時間を潰すために24時間開いているスーパーに地下鉄で30分かけて行きました。いわゆるショッピングセンターみたいなところで、ロシアのチャイも飲めるし、食事もできる飲食店がいろいろあります。そこで待っていようかと思ったのに当てが外れて、9時からしか店が開かないのです。それで仕方がないのでスーパーの中をうろうろしていました。暇なのでレジの数を数えてみたら、なんと53台!ありました。

 しばらくすると、店のガラス張りのドアの前に大勢の人達が待っているのが見えました。まるでデパートのバーゲンが始まるのを今か今かと待っているみたいな光景でした。ふと店の中に目をやると陳列台の上には山盛の花が並べられています。というよりも、あれは夥しい数の花が積まれているといった表現が正しいのです。「今からいったい何が?」と思って見ていたら、時間が来たのか、扉が開けられたのです。今まで待っていた人達、ほとんどは男性が、怒涛のように花に向かって押し寄せてきました。そして、あっという間に花の山は消え去り、あとには無残にも鳥の羽根のような花の残骸が散らばっていました。一部始終を目の前で見ていた私は、そこで繰り広げられた光景に、ただポカーンとするしかなかったのです。その時は訳が分からなかったのですが、母の日に日本ではカーネーションですが、ロシアではチューリップかミモザの花を贈るそうです。後になって、そうか、それであの時見たこともないチューリップの山ができていたのだと気付いたのです。

 それにしても、あんなに大勢の男性が当然のように女性のために花を買うなんて、日本で想像できるでしょうか。近所に花屋があって、買い物のときに毎日のよう通りかかります。母の日には店先にカーネーションが並べられていました。でも全然売れていなかった。それは仕方のないことで、みんなの意識が違うのですから、ロシアとは比べられません。私個人としては、レディファーストなんて望んでいないのです。それより、女性だから、男性だからというよりも、人間として見て欲しいのです。そのためには、自分が何気なく使っている言葉が、悪気はないのに人を傷つけているかもという想像力を持つことだと思うのです。そうは言ってもこれがなかなか難しくて、まずは自分の中から物事に対する偏見をなくす努力をしなくては。

 

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