人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

空虚な自分と向き合う

お題「#この1年の変化

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以前は家に居るのが嫌だった

 最近私はある発見をしました。それは部屋の模様替えが予想外に気分転換になることがわかったのです。模様替えと言っても、今こうしてブログを書いているのに使っているこたつの位置を変えただけなのですが。頭で考えたらありえない位置なのに、なぜか以前よりも集中できて、落ち着く、そんな気分になれるなんて実に幸運です。おかげで、今まで避けてきた自分と向き合う時間が充実したものになりそうです。

 思えば、以前は家に居るのが嫌でした。なぜなら家は退屈でこれといって面白いことも何もなかったからです。だから外に行く。道行く人が楽しそう、いいえ、口げんかをしている光景を見たとしても、みんな生きているという活力を感じられて刺激を受けたものです。電車やバスに乗らないで、とにかく自分の足で歩く。道が続いている限り、どこにだって自分の足で行ける。時間はかかっても、自力で目的地に行けるのはとても充実感があります。以前見たテレビ番組では、ある有名俳優が自宅のある世田谷区から、品川区まで3時間かけて歩きます。その後に銭湯に入って汗を流すのが至福のときなのだと言っていました。それはなにも番組のためではなく、日頃から習慣にしていることなのだそうです。その人は舞台俳優なので、体力維持のために日頃から心がけているのです。行きは自分の足で達成感を味わって、帰りは地下鉄でゆっくり帰るのだそうです。人それぞれ、歩き方は様々です。私の場合はだいたい往復で3時間ぐらいで、初めの頃は疲れましたが、慣れると帰ってすぐ台所に立てました。

空っぽの自分に気づいた

 さて、家が嫌いで外が好きな私は、コロナが流行し始めた途端、困り果てました。「これからいったいどうしたらいいの?!」と途方にくれました。考えてみたら、以前の私は仕事とか目の前のやるべきことで精一杯の毎日でした。でも、ある日不意に時間が空いたことがあったのです。そのとき気づいたのです、自分はなんて空っぽの人間なんだろうって。生きるためにすがる思いも何もないのですから。心の糧となる愛読書も一編の詩さえも思い浮かばない。私の精神世界は甚だ貧しいことに愕然としました。何かの宣伝文句のような「無人島に持って行く一冊」を聞かれても即答できないのです。先日ある評論家が新聞に書いていたのです、「人間の価値は、いつまでもあると思った仕事が奪われたとき、自分を尊重できるかによって決まるのだ」と。つまり仕事を失ってしまった自分はダメなんかじゃないと思える確固たる何かを持つことが大事なのだと言いたいのです。そうすれば、必要以上に悲観的にならずに済みます。つまり、それを具体的な言葉に置き換えたら、「教養」なのではないかと。

 確かに中学や高校の頃は、スラスラと暗唱できる大好きな詩のひとつやふたつはあったはずです。でも大人になって気づいたら何も無くなっていたのです。ふと見ると、部屋の隅には読みかけの本がうずたかく積まれています。ついつい、受け身で楽な動画サービスに頼り切り、本を読むのが面倒に思えてきます。でもこの間、そろそろドラマにも飽きたなあと思って、放ったらかしにしてあった本を手に取って読み始めたのです。いつの間にか熱中して、読み終わったときには達成感があって新鮮でした。家に居ながらにして、別の世界に行けた気分でした。空っぽな自分の心の隙間をほんの少しでも埋められたかのように錯覚したのです。

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