人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

髪を切りに行く

旅に出る前には必ず髪の毛を切る、それが私なりの儀式

 今の私の最大の関心事は、お盆のことで、実家に帰省することだ。もうすでに、列車の切符も予約したので、あとは宅急便で、自分の着替えやお土産を宅急便で送ればいいだけだ。でも、その前にやらなければならないことがある。それは伸び放題になって、今では暑苦しくなってきた髪の毛を切りに行くこと。さて、何処に切りに行こうかと考えて悩む。今までお気に入りだった美容院、と言っても今流行りの安い所で、2千円ほどで、手早くカットしてくれる店が、少し離れた場所に引越してしまったからだ。そこに行くには歩いて30分かかる。普段の私なら何も考えることなどないのだが、今はベーカー嚢腫のおかげで、歩くと足が痛んで辛い。それに最近は気温が連日30度を遥かに超える猛暑日が続いていて、たとえ足に痛みを抱えていなくても、歩いて10分のスーパーに行くだけで頭がぼうっとして、身体が重い。

 できる事なら、あの店に行きたいが、今の現実を考えると足が持つかどうかで不安になる。もしも足が限界になり、痛みに耐えられなくなったら、どこかで休憩しなければならない。その場合は一番安いチェーン店のコーヒーショップに入ることになるのだが、そうなると、たいして美味しくもないコーヒーを飲み、サンドイッチを食べなければならない。その時の自分を想像するだけで、気分が悪くなってしまう。でも、あの店で髪の毛を切ってもらうとなんだかすっきりして、新鮮な気持ちになれることも確かだった。我ながら、こんなことを考える自分が可笑しくて堪らない。何たることか、歩くことが大好きな私が、足を気にして一瞬でも、いや相当なレベルで、あの店に行くことを躊躇してしまうなんて、そんな日が来るなんて想像だにしなかった。なんとも情けないことになったものだ、ともう一人の自分が私を揶揄する。

 だが、痛いものは痛いのだから反論できず、黙っているしかない。それはさておき、ベーカー嚢腫というのはつくづく不思議な病気だと思う。1週間前に診療所で整形外科の先生から、「前と比べると、ほとんど水は無くなっていますよ。でも、まだ少しだけ残っていますが、これぐらいだったら、注射器で抜く必要はありません」と言われて舞い上がった。だが、自分が感じる痛みのレベルはだんだんと増していた。むしろ、膝の裏に水の入った袋がべっとりと張り付いていた時の方が、歩いている時の痛みは少なかったとさえ感じる。歩いていて、痛いことは痛いが、真面目に辛いと感じるレベルではなかった。それなのに、水の袋が自然?と消えてきた今では、歩くとやけに痛みが襲ってくる印象を受けるのはなぜなのだろうか。

 痛みはあくまで個人的なもので、自分の痛みは他人には分かってもらえない。それに個人によって耐えられる痛みの程度もまた違う、と考える私は、沸々と沸き上がる痛みに関する疑問を先生には質問できなかった。つまり、当然のことだが、先生は私の個人的な痛みがどの程度かを知らないし、それを知ったとしても何もできないからだ。先生の「この程度なら、様子を見ていいでしょう」という私に一瞬希望を持たせた言葉は、そのうち時間が解決するでしょうという意味なのだと私は勝手に受け取った。そうすれば、自然とベーカー嚢腫は消えるはずだと言わんばかりの対応に素直に従って帰ってきた。約三週間でほとんどの水が消えたとすれば、あと少しはどれくらい時間がかかるのだろうかと楽しみにしていればいいのだ。

 ネットのサイトの記事にもあったが、「ベーカー嚢腫は自然と消える」のだそうだ。だが、まさに今経験している者としては、この「自然と」の部分には異論を挟みたくなる。あくまで「自然と」ではなくて、それが消えるにはかなりの代償が伴うということを声を大にして言いたい。代償とはもちろん、歩く時の絶え間ない痛みを味合うことだ。今の私のモットーは「痛くても歩く」で、なぜかと言うと、その方が早く楽になれるからだと信じて疑わないからだ。

 さて、美容院の話に戻ると、お気に入りの美容院に行く気満々だった私だったが、何のことはない、岩のような固い決心も暑さには降参するしかなかった。家から歩いて僅か10分ほどのショッピングモールの前を通りかかったときに、ふと気が付いた、この中にもカットの店があったことに。以前に一度、試しに利用したことがあったが、イマイチだったので、それっきりだった。それでも料金の安さのせいなのか、店の外に行列ができていることもあった。結局、私は近場で間に合わせることに決めたのだが、店に行って見ると、どうやら店の人が変わったようだった。土曜日なのに、待っている人もいない状況に「どういうこと?」と目をパチクリさせるしかなかった。

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