人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

神楽坂の思い出

 

行く度に新しい店を発見する、移り変わりが激しい場所

 若い頃、神楽坂によく遊びに行った。と言っても、あの坂が連なる表通りをぶらぶらしていただけのことだ。地下鉄で行けばすぐなのだが、お金を節約したいのと、運動になるからというだけで、飯田橋まで約20分の道のりを歩いた。だが、途中にある神楽坂商店街を眺めながらの散策は実に楽しかった。考えてみると、最近はさっぱりあの界隈に足を踏み入れる機会がない。たまに東京の友だちに会いに行くのだが、私たちの興味はもう昔のように神楽坂には向いていないのだ。その点において、神楽坂はとうに過去の思い出としか思えない場所であり、今更訪れるまでもなかった。

 それなのになぜ、いま神楽坂を持ち出したかと言うと、それは昨日の日経の夕刊に起因する。プロムナードというコーナーで、文筆家の小沼純一さんが神楽坂について書いていたからだ。小沼さんは12年もの間、神楽坂にほど近い学校に通っていたこともあって、相当にあの界隈に思い入れがあるらしい。思えば、神楽坂周辺はその移り変わりの速さにおいては目を見張るものがある。昔からあった店が突然姿を消して、新しい店ができたと思ったら、一週間後ぐらいにまた行くと、もうその店は別の店に姿を変えていた。なんていうことはしょっちゅうだった。噂に聞いた話によると、神楽坂の店の家賃は他の地域に比べて高すぎるようで、新しく店をオープンしても、客が入らなければやってはいけないらしい。

 だが、そんな移り変わりの激しさとは一線を画している感のある店も存在する。代々受け継がれてきたお惣菜屋さんや和菓子屋さん、肉まんで有名な中華やさんなどは今でも健在だと、小沼さんも書いている。これらの老舗で買い物をしたことはないが、いつも通りかかって見ているので、まるで馴染みの店だと錯覚しているようなところが私にはある。そう言えば、神楽坂通りで好きだった店は、坂を下りきったところにある「丸岡陶器店」で、そこのショーウインドーを眺めるのが好きだった。七色に光る陶器のカメレオンのオブジェはどれだけ眺めていても、見飽きることはなかった。他にもまるでここは骨董屋さん?と見間違えるくらいの美しい猫の置物や、江戸切子のグラスも飾られていたので、とても楽しい時間を過ごした。もちろん、店の中にはお茶椀やら、その他の食器が所狭しと並べられていたはずなのに、私の興味はウインドーにくぎ付けで、よもや中に入ってどうのこうのなどという発想はなかった。

 考えてみると、私が足げく通っていた頃の神楽坂には陶器店が他にも2つあった。そのうちの一つの店は花の苗や肥料や土なども売っている、どちらかといえば狭いと感じる店で2階建ての店舗だった。ただ、その後で思いがけなくその店のことを知ることになった。それは偶然見ていたテレビで神楽坂特集をやっていて、地元出身のタレントが親しい住民の人にインタヴューするという趣旨の番組だった。そこに登場したのが、あの陶器店の娘さん二人で、場所は自宅のマンションの一室だった。それで、あの店は店舗だけで、自宅は別にあるのだとわかった。

 もう一つの店は昔ながらの木造の店舗で、店内にはもちろん陶器も置いてあったが、それよりも人々の目を引いたのは、店頭に所狭しと並べられたブリキのおもちゃで、今で言うところのレトロなレアものだった。ミニチュアのオブジェも綺麗で、見ているだけで満足し、まさか手に入れようなどとは思わなかった。この店は陶器店というよりも、子供が喜ぶ駄菓子屋的なそんな役割を担っていたのだと思う。興味半分で神楽坂を訪れた人に楽しんでいってもらう、そんなサービス精神で溢れていた。あの店を最後に見たのはいつだったのだろうか、5,6年ぐらい前だろうか。いやもっと前だろうか。いずれにしても、今まであの店の存在を、いや神楽坂のこと自体を忘れていた身としては、返答できるわけもない。

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