人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

痛みを癒してくれるのは

いやはや暑い、それに痛みが加わったら、最悪だが

 当然のことながら、7月ともなると暑い。湿度が高いせいかムシムシして、近所のスーパーに買い物に行くだけでも、まるで一大事業のように感じてしまう、特に今は。以前ブログにも書いたが、私の右膝の裏には、ベーカー嚢腫という袋状のものが出来ていて、膝の曲げ伸ばしを困難にしている。診療所に行って、患部を超音波で見てもらってから、10日ほど経った。あのとき、先生は「家からここまで歩いて来られるのですね」と私に確認し、さらに「では、階段はどうですか」と尋ねた。痛いから足を大事にして安静にするという考えなど全くない私は、「痛いことは痛いけど、大丈夫です」と答えた。実際に、階段を降りる時にズキンとはくるが、それは決して耐えられないものでもなかった。それで、「様子を見ましょう」と言うことになって、2週間分の痛み止めを貰って帰ってきた。

 だが、すぐに、大事なことを聞き忘れたことに気が付いた。それは「少しの間様子を見る」、つまり何もせずに放っぽっておいてどうにかなるものなのか、というそのへんのところを突っ込んで聞くことだった。失敗したと思った、いや、あの痛みを抱えた身としては、これからどうなるかだなんて、聞く勇気、いや余裕はなかったと言った方が正しい。この先、ずうっと今の痛みを抱えて生きていくことを想像しただけで、楽天的な性格でもない限り、目の前が真っ暗になるのは当然だった。足が、それも膝がどうにかなってしまうと言うような災難が、自分の身に降りかかったこと自体信じられないでいた。先生には「注射器で袋に溜まった水を抜くのはできればしたくない」とはっきり言われたが、それでも無理矢理にでもやってもらった方がよかったのではないかとさえ思えてきた。

 診療所に行ったのは、気になってどうしようもない痛みをどうにかしてもらうのが目的ではなく、本当の原因を知りたかったからだ。おかげで、根拠のない不安は消えたが、問題はどうやって右ひざの痛みと付き合っていくかということだった。家でじっと座っていれば、あるいは横になっていれば、痛みを感じずにいられるかと言うと、そうでもない。時々、忘れた頃にズキンとした痛みが襲ってくるから油断も隙もない。痛みに慣れて、感じなくなるレベルまで行くと、一番いいとは思うが、なかなかそうはいかない。早朝の散歩も習慣なので、身体が自然と動き、まるで何事もなかったかのように外に飛び出して歩き出す。やはり、いつもと違って足が痛いが、その痛さが我慢できないレベルではないので、どんどん歩ける。膝の痛みが少々鬱陶しいが、仕方ないかと諦めているのが正直なところだ。

 痛みと四六時中付き合うのは気を使うし、気疲れするが、その痛みと真っ向勝負しようものなら、こちらの身が持たない。なんとかして、右膝のことを考えないようにしなければならない。何か他の楽しいことで気をそらし、頭の中から痛みを追い出すことが肝心だった。これまでの私だったら、真っ先に考えるのは、自分のお気に入りのスイーツを買ってきて食べたり、あるいは、感情移入できるドラマを見ることだった。だが、残念なことに、痛みという感覚を食べ物で解消することはできなかった。それどころか、食欲が落ちる傾向にあった。では、お気に入りのドラマはどうか、これも今一つで、ドラマの世界に入り込めず、楽しめない。美味しい食べ物も大好きなドラマも右ひざの痛みには効かなかった。

 ところが、現在夢中になっている英語とフランス語の勉強だけは違った。ICレコーダーでNHKラジオ講座を聞いていると、不思議なことに痛みを忘れられた。かつてないほどのやる気と集中力でもって臨んでいるせいか、その間だけは現実を忘れてしまうのだ。何?勉強が私を痛みから救ってくれている、だなんて、そんなことがあるだろうか。我ながら俄かには信じられないことだが、何かに没頭することだけが、唯一痛みの辛さから解放してくれる有効な手段らしい。もしかしたら、私は我慢強いのだろうか、あるいは、痛みに関して耐性があるのだろうか。いずれにせよ、痛いから毎日が辛い、で終わらせるのが嫌だったから、何かで気を紛らわせようとした結果そうなっただけのことだ。

 気のせいか、近頃では右膝の痛みは和らいできたようで、それを証拠に右膝がつけるようになってきた。これから先、どうなるかは分からないが、どうなったとしても、その日その日を楽しむ姿勢は崩したくないものだ。

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