人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

いちばんしあわせなおくりもの

究極の幸せに気づかせてくれる絵本

 昨日書いた西田美子さんの話の続きを書こうと思う。西田さんのお気に入りの3冊の絵本は、刀根里江さんの『なにもできなかったとり』と佐野洋子さんの『100万回生きた猫』、それと、この『いちばんしあわせなおくりもの』だった。西田さんは感動のあまり、手元に置いておきたくて、『なにもできなかったとり」以外の2冊は購入したという。私は『100万回生きた猫』は以前読んで、やっぱり泣いてしまった。何度読んでも泣けるので、さすがに手元に置く気にはなれない。100万回生きても、それでも自分の本当に欲しかったものは手に入らないという何とも不都合な真実がやるせない。何度も愛する相手に巡り合うのに、なぜか物足りなく、寂しさは募るばかり。自分が本当に愛するのはひとりだけだった、という紛れもない事実に打ちのめされる。何度生まれ変わろうとも、結局のところは愛した猫には出会えなかった。それで、もう生まれ変わるのをやめた、たぶん、そんなようなストーリーだと思うが、間違ったらご容赦願いたい。

 西田さんには、昨日ブログに書いた『なにもできなかったとり』もぜひ購入して手元に置いて欲しい。あれは読んでいる側から、美しい絵を見ていると、とんでもなくイマジネーションが沸き上がってくる絵本だからだ。穏やかで優しい色合いのイラストレーションが、いつの間にか別世界に人を誘ってくれる。心の平安に浸れると同時に、また様々な思いが心の中を駆け巡る。あれは、人に問題提起をしてくれている、奥が深い絵本だからだ。そう言う意味で、ボローニャ絵本大賞にふさわしい絵本だ。

 そうなると、この『いちばんしあわせなおくりもの』はストレートでわかりやすい。子どもから大人まで誰が読んでも、絵本が送ってくれるサインを理解することは容易だ。だが、この本の本当の良さは、一番手に入れられそうなものを手に入れるのは至難の業で、これがそんじょそこらのものではないと気付かせてくれる点にある。ある森に仲良しのくまとこりすが住んでいた。こりすはくまが大好きで、「大好きなくまくんに、なにかおくりものをしたいなあ」と思い、クマに欲しい物を尋ねた。ところが、くまは「なにもいらないよ」と言うので、こりすは困ってしまう。こりすは自転車だの、森の花畑にある花全部、だのと、くまへの愛情を物で精一杯示そうとする。そんなこりすの気持ちを痛いほどわかっていながら、それでも、くまは「なにもいらない」とだけしか言わない。

 それならと、こりすは「では、遊園地に行こうよ、きっと楽しいよ」とくまを誘う。だが、くまは「僕は今でも十分楽しいよ、君と一緒だから」と必要ないと答える。それを聞いたこりすは慌てて、「じゃあ、くまくんはどうすれば、うれしくなるの?僕は君に幸せな気持ちになってもらいたいんだ。何をしたら、幸せなの?」と思わず叫んでしまうのだ。こりすは一番知りたくて堪らないことをくまに尋ねた。くまの答えがまたふるっている。「きみとここに居て、なあんにもしないことさ」。これにはこりすは目が点になって言葉に詰まってしまった。俄かにはくまのことばが何を意味しているのか理解できなかった。

 呆然としていると、くまは「君とここに居るだけで、僕はとても幸せなんだ」とこともなげに言ってのける。それって本気で言ってるのと聞き返したくなるほどの、いわば、究極の言葉だった。一緒にいるだけで、何もなくても幸せ、そんな幸せってあったっけ、と私などは首をかしげてしまうのだが、同時に、本当の幸せって、本来はそういうものなのではないだろうか。お金もかからなくて、状況が許せば、簡単に手にはいると思うだけなら思えるが、現実にはなかなか厳しい。くまとコリスの関係が何だか羨ましくもあり、眩しく感じられる。そんな関係あったらどんなにいいか、と思わせてくれる絵本、それが、この『いちばんしあわせなおくりもの』だ。この絵本の魅力はストーリーだけではなく、宮野聡子さんのホンワカさせてくれるイラストレーションも心に染みることは言うまでもない。

 

 

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