人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

図書館の本棚の中身

今週のお題「本棚の中身」

不思議なことに、借りる本がどれも同じような話で

 もう今では図書館に行くことはなくなったが、昔はよく通っていた。当時住んでいた町には小さな公立図書館があって、その辺りは普段の生活では滅多に通らない場所だった。大通りの脇道を入ると、子供が歓声を上げて遊んでいる公園があった。そこを通り過ぎて、しばらく行って角を右に曲がると、その図書館はあった。「こんなところに図書館があったんだ」と思うくらい辺鄙な場所だった。ただ、隣には交番!?があるので、目印としては分かりやすい。閑静な住宅街の中に埋没してすぐにはそれとは分からないような図書館だが、れっきとした図書館であることには変わりはない。

 最初、そこに行き始めたのは当時話題になった絵本があって、急に興味が湧いたからだった。絵本を見たい、読みたいと思っても普通の書店では置いていないことが多い。自由に、時間を気にせずに好きなだけ見たり、眺めたり、読んだりできるのは図書館だけだった。それにその図書館の児童書コーナーはとても充実していた。沢山の子供に交じって大人が居ても何の違和感もない空間だった。一度に5冊まで借りられるので、家に持ち帰って楽しんでいたが、ある時、ふと一般の本が気になった。児童書コーナーは2階にあるが、一般書は図書館の玄関を入ると閲覧室があって、そのすぐ隣に棚がならんでいた。

 ざあっと棚の中の本のタイトルを眺めてみた。もちろん新聞やテレビで話題になって知っている本もあったが、その他の本はタイトルだけ見ても、さっぱりでその内容は想像もつかない。当たり前のことだが、図書館の本はカバーと帯を外して、本を保護する目的で痛まないようにビニールをかけてある。だから、その本に関する情報は全く読み手には伝わっては来ない。何も知らされず、どういった内容なのかのヒントすら与えられずにこちらは本を選ばなければならない。まっさらの状態で、先入観が全くないので、ドキドキ、ワクワクするならいいのだが、やはり人としては少しでも知りたい気持ちが沸き上がって来る。だから、まずは本をペラペラめくって、文字情報を頼りに内容を注意深く探るしかないのである。目に入った文章や言葉から素早く判断して、その本を借りるかやめておくかを決めるしかない。

 ただ、一方ではこうも考えた、図書館が選んだ本なのだからハズレはないのではないかと。それも個人の好みから言えば、素直に従って正解かどうかは怪しいものだ。私が選んだ本は過去に売れていると評判の本だったが、私はその内容を全く知らなかった。というか、その本自体に興味がなかった。それでいい機会だと思って借りて読んでみることにした。その本は一言でいうと、傷ついた女性、いや、少女の再生の物語だった。彼女は幼い頃から両親に愛されず、虐待されていた。誰にも必要とされず、生きている価値がないとさえ思っていた。だから彼女はそんな自分を受け入れてくれる誰かを心の底から求めていた。やがて、彼女は自分に近づいてくる男性を誰彼構わず受け入れるようになった。なぜかと言うと、自分を必要としてくれる人なら誰でもよかったからだ。彼女は相手が自分の体だけが目的であっても、傷つけられる感覚がないようで、十分幸せだった。

 正直言って、その本を読む前は、誰にでも体を許してしまう女性の心境がわからなかったが、読後はその切ない気持ちが理屈としては理解できた。誰も皆自分を必要としてくれる人を求めていて、彼女の場合は自分が生きていてもいいと認めてくれる存在だった。当時はその物語を自分とは縁遠い世界、まるでSFのようだと感じた記憶がある。その後も、次々とランダムに棚にある本を借りて読んだのだが、驚くべきことに、なぜかあらすじも内容もほとんど似たようなものだった。こうなると、食べ物と同じで”過ぎたるは及ばざるごとし”で食傷気味になり、嫌気がさしてしまった。自然と私の足は図書館から遠ざかった。

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