人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

もう、つくし取ってきた?

とんでもなく早い春の訪れに困惑

 義姉のミチコさんに、「こっちは今雪が降ってるよ」とメールしたら、「大変だね。昨日つくしを取ってきたから、ちょうど煮てたところ」と返ってきた。ええ!?ちょっと待って、まだ桜も咲かないのに、つくしだなんて、嘘でしょうとこちらは困惑するしかない。そう言えば、去年はなんだかんだと忙しくして、つくしにまで気が回らなくて、気づいた時にはもうつくしの頭は真っ茶色だったと、ミチコさんは嘆いていたっけ。なので、私は3月に入ったら、「つくしに注意」とアドバイスをするつもりだった。そうか、私の心配など余計だったようで、ちゃんと頭の中に「つくし注意報」は出ていたのだ。ミチコさんはつくしの出始めのあの緑色で、食べると少し苦みのある味が大好きだと言っていた。生まれたばかりのような緑色のつややかなつくしの頭は見るからに美しい。青臭い匂いもするが、それは新鮮さの証明でもある。

 真っ先に、いいなあと思った。自分でつくしが取れて、それを料理できることが羨ましかった。とは言っても、別につくしが大好物でも何でもないが、私の近所と言うか、周りには、つくしが目を出す場所が見当たらないからだ。いや、去年の今頃何十年ぶりかで、つくしが生えている場所を偶然見つけた。それは散歩コースにある市営住宅の敷地にある土手のようになっている場所で、通りかかったときに、つくしらしきものを見かけて、思わず足を止めた。まさかと思って、凝視すると、それはまさしくつくしだった。いやはや、こんなところにつくしが!と新鮮な驚きを覚えた。今まで、何度も通り、気にもしなかったのにどうして今頃と後悔したと同時に、つくしを発見できたことが人生最良のことのように思えて、嬉しかった。

 こう書くと、何をそんなつまらない事と思われるかもしれないが、生き物、ここでは植物のつくしだが、自然のものは何と人にささやかな幸せをくれるのだろう、と心底思う。目の前につくしがこれでもかと思うくらい、のびやかに生えている景色は何とも爽快だ。もっとも私が見つけたときは、だいぶ頭の部分が茶色くなりかけていたが、それでも十分だった。まるで宝物を見つけたように心が躍った。こう書くと、今年もと期待に胸をときめかしていると、言いたいところだが、残念ながら、それは無理というものだ。なぜなら、つくしの生えていた土手は去年の夏頃に市がすべて草を刈ってしまって、草一本も見逃すことなく綺麗にしてしまったからだ。確かに草ぼうぼうより、雑草がない方がすっきりして見映えもいいだろうが、なんだか味気ない。春を告げる典型的な風物詩だったつくしが消えてしまった。

 何とか、根っこでも土に残ってはしないかと一縷の望みを抱いたが、どうやら無理なようだ。朝通りかかる度に目を凝らして、辺りを見てみるが何も生えてはいない。今年はつくしとは出会えなくなってしまったから、余計にミチコさんからのメールが心に響いた。ミチコさんがつくしを取りに行く場所は、地元にある日光川の土手で、水面にはいつもカモの大群がいて、近くにはカメもたくさんいる。帰省すると、毎日のようにお気に入りの喫茶店に行くために、この土手を車で通る。ミチコさんはいつも、「ほら、カモがいるでしょう。カメも近くにいるよ」と気にしている。近くはよく見えるが、遠くがよく見えない私にはカモはわかるが、カメはまるで岩か何かのようではっきりとはわからない。「あれが見えないの?」と呆れられるが見えないのだから仕方がない。そんな、ミチコさんだから、つくしのことを忘れるはずがないか、と今更ながら納得する。

 おそらく、ひとり暮らしのミチコさんはつくしを煮て、近所に配るつもりだろう。これからタケノコの季節だから、たけのこご飯とか、タケノコの煮物も作るに違いない。それからアユの甘露煮も得意なので、これも近所の人にお裾分けする。ミチコさんに電話して、「つくしばかり食べていたら、ずいぶん節約になるね」とからかってみようかとずうっと思っているのに未だに行動に移していない。

mikonacolon