人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

沢村さんちの楽しいおしゃべり

大好きだったはずなのに、今はちょっと退屈

 図書館から、益田ミリさんの漫画の本を2冊借りて来た。書名は「沢村さんちのそろそろごはんですよ」と「沢村さんちの楽しいおしゃべり」の2冊だ。いずれの漫画も週刊誌の週刊文春に連載されたものをまとめたものだ。この「沢村さんち」のシリーズは今まで、一度も読んだことがなかった。図書館にあると知って、それでは読んで見ようと予約したら、すぐに取り置き完了のメールが届いた。イソイソと取りに行き、家に着くと早速ページを捲った。私がミリさんのファンになったのは、普通の何でもない日常に潜む気付きをつぶさに見せてくれるからで、それがとっても新鮮だった。

 今回もそのつもりで、そのはずだったのに、正直言って、当てが外れた。沢村さんちがあまりにも、平和で争いがなく、穏やかで、一人娘のひとみさんにもたいして悩みがなかった。どこをどう探しても、争いの芽がなく、沢村さんちだけには世間の厳しい風は影響を及ぼさないようなのだ。まるで、ユートピアでもあるかのような物語、仲良し親子の物語、それが一見した、沢村さんちのシリーズの漫画の風景だった。

 この漫画の登場人物は70歳のお父さん、69歳のお母さん、それに一人娘のひとみさんの3人家族で、ひとみさんはまだ独身で、もうすぐ40歳になる。いくら子供でも40にもなろうとしているのだから、親を鬱陶しく感じてもいいはずだが、まるで女子学生のような微笑ましい親子の会話に少し引いてしまう。現実にこんな親子3人が居るだろうか、と考え込んでしまうほど、ありえない設定だ。だが、原作者のミリさんは敢えて、こういった親子の平和な物語を描いているのだろうと推測する。現実にありえないからこそ、逆に「こんなささやかな事で幸せになれたら、どんなにいいだろう」と思わせてくれるのだろう。だが、正直言って、私には少々、退屈だった。なので、2冊とも一通り読んだ後、表紙の写真撮影を忘れるくらい、きっぱりと見切りをつけて、借りたその日のうちに図書館の返却ボックスに入れに行った。そうやって、私はミリさんの本とサヨナラして、心が軽くなった気がした。

 沢村さんちのお父さんとお母さんは仲がいいと言うか、諍いがなく、二人の間に漂う空気は穏やかだ。お父さんはおとなしい性格で、晩酌もせず、お母さんに迷惑もかけないし、大声で怒鳴ることもしない。まるで優等生のお父さんで、表彰状をあげたくなってしまう。人を不快にさせることがなくて、娘のひとみさんにも「早く孫の顔が見たい」などと言って困らせるようなことはしない。あくまで子供の頃と変わりなく、父と娘として接している。漫画の中にはお父さんの抱える闇は一切出てこないが、良いお父さん過ぎて、大丈夫かと心配してしまうのも確かだ。特に気になるのは、お父さんには近所に話し相手がいないことで、行動範囲は図書館とジムと家の3カ所に限られていることだ。図書館はもちろん、ジムに通っていても、そう簡単に他人に話し掛けられない性質なのだから。

 その一方で、沢村さんちのお母さんはちゃんと茶飲み友達がいて、家の外で息抜きができていた。友だちから、「あなたのところはいいわねえ」と羨ましがられて、まんざらでもない幸せを味わっていた。いつだったか、お父さんの通っているジムを見学に行ったことがあって、その時に体験コースを試してみたら、ちゃっかりと知らない人とまるで友達でもあるかのように意気投合していた。その時、お父さんはお母さんのコミュニケーション能力にタジタジとなってしまった。それこそ自分に欠けているモノだったからだ。

 ひとみさんにしても、結婚に対して焦りは微塵もなかった。なぜなら、会社には同期の女性の同僚が3人も居て、皆独身で、しょっちゅう飲みに行って憂さを晴らしていたから。家でも結婚を強いられることはないが、お母さんだけはそれとなく、意味深なことを言って、サインを送ってくることもあった。そんなとき、ひとみさんは気づかないふりをして、さあッと自分の部屋に引き上げるようにしていた。父親はともかく、母親としては、やはり娘がいくつになっても、結婚を諦める気にはならないようなのだ。それは、幸せな結婚生活を送っていると思われる、沢村さんちのお母さんだからこその、切なる願いなのだろうか。

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