人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

なんにもできなかったとり

こんな発想どうしてできるの?と驚嘆した

 そう言えば、最近全くと言っていいほど、絵本を読んでいなかった。そう気づかされたのは、朝日新聞の投稿欄「声」に載っていた、西田美子さんの「絵本がくれた 心にしみる幸せ」に目を留めたからだ。西田さんは自分の部屋を広くしたくて、テレビとピアノを片付けた。テレビは居間でも見られるからいいが、4歳から付き合いのあったピアノにはさすがに後ろ髪を引かれたようだ。解放感に包まれた西田さんは、それ以来、頻繁に図書館に通うようになった。西田さんのお気に入りは絵本で、以前は啓発本ばかり読んでいたが、今はなぜか、読むと温かくて優しい気持ちになれる本を好む傾向にあるようだ。このようなことは私にも経験があり、何冊も買って読んだり、書店で立ち読みに耽ったりと何とかその時の自分を変えようとやる気満々だった。だが、何冊啓発本を読んだところで、あくまで机上の空論で、実行が伴わなけば何も変わりはしないのだ。

 当然のことながら、啓発本疲れを起こし、ホッとできる何かが欲しくなった。現実逃避だと言われればそれまでだが、とりあえずの避難場所としてのオアシスが欲しかった。それが私の場合は絵本だった。たいして読書好きでもない私には、疲れている時は活字はうるさくて、邪魔ものだった。字が少なくて、絵を見ているだけでいい、絵本がちょうどよかった。絵本なんて、子どものものだなどという認識は大間違いだ。絵本を子供のものだけにしておくのは、何ともったいないことなのだろう。絵本は大人に心の平安をくれることは間違いない。ほんのひと時、絵本と向き合えば、救われる気がする。

 さて、西田さんは自分が読んで、とても感動した絵本を3冊紹介してくれている。そのうちの一冊が、この『なにもできなかったとり』で、作者の刀根里衣はボローニャ絵本大賞を2年連続で受賞している有名作家だ。今から10年ほど前にイタリアの出版社に持ち込んだ本が認められ、絵本作家としてデビューした。その本がまさにこの本だということで、ますます早く読んで見たいとワクワク感が抑えられなかった。そうなると、まずは使い慣れている図書館サイトを検索してみる。図書館というものは、だいたいが権威ある賞というものに重点を置いて、本を選んでいるのだから、もしかしたら、と期待していたら、やはりそうだった。幸運にも誰も借りてはいない。早速図書館に飛んで行って、すぐに読んだ。

 タイトルの”なんにもできなかった”の指す意味は、皆のように自分で卵を割って出てこれない、飛べない、泳げない、歌えない、木の葉っぱをつたって登れない、ということだった。その子は鳥なのに、鳥らしいことは何一つできないという意味で”なんにもできない”という修飾語が付いている。いやはや、これはもう絶望しても何らおかしくない状況だ。鳥なのに、皆のように持って生まれた能力がないのだから。それでも、その子はなんとか皆に追いつこうと努力をする。だが、その涙ぐましい努力も徒労に終わる。そうなると、その子は正真正銘の“なんにもできなかったとり”になった。

 そんなとき、その子は花のお母さんが困っている場面に出くわす。お母さんは安心して種を育てる場所がどこにもないと嘆いていた。すると、その子はそれならここにあるよと、自分の身体を指さした。「僕の身体なら、ほらフワフワで、安心だよ」と驚くべき提案をする。ここで、私は、ええ~!?まさかと思わず声が出た。”なんにもできなかったとり”は初めて誰かの役に立って、とても満足そうだ。でも考えてみて欲しい、皆ができることがすべてできないとなると、相当に性格も暗く歪んでいるとは言わないが、他人を想う気持ちなど持てるだろうか。万に一つそんな心の余裕があるだろうか。などと、狭小の心の持ち主である私は考えてしまう。

 ”なんにもできなかったとり”は大地のごとく広い心の持ち主だ。言葉を変えて言えば、自己犠牲に他ならないのかもしれないが。さすがにボローニャ絵本大賞受賞作は、読んでいる時だけでなく、読後もジワジワッと何かが噴き出してくる絵本だ。それにしても、作者の刀根里衣さんの凡人の想像力を遥かに越えた発想力に脱帽するしかない。

 せっかくなので、絵本の中から印象的な場面を載せておきたい。

 

 

 

 

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