人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

お盆に帰省してみたら

 

トラブル続発でショックを受ける

 今回の帰省ではいろいろあった。本当にショッキングなことが多過ぎた気がする。まずは、帰省したら、必ず義姉のミチコさんと地元の駅ビルで待ち合わせする。その駅ビルにある美濃匠何とかという総菜屋で食事、またはそこの美味しい煮魚のお弁当を買って、家で食べることにしていた。それを楽しみにいつも実家に帰るのに、今回はそれができなかった。というのも、地元の駅ビルに入っている百貨店がもうすぐ閉店するという事情もあってか、ショッピングモールの大改装が去年行われたからだった。すべてに言えることだが、改装した後は、利用者にとっては以前よりも利用しづらくなるもので、今回も御多分に漏れなかった。そういう懸念が元々あったが、やはり現実になると、受け入れがたかった。確かに以前は惣菜店はたった一軒しかなかったし、またそれだからか、人で賑わっていた。

 でも、今回はうって変わって、ワンフロアに惣菜店がまるでフードコートのごとく出現し、人々を惹きつけてはいたが、何のことはない、私から見れば、何らスーパーの総菜売り場と変わり映えしないものになってしまった。シュウマイや焼き鳥などの専門店もあるにはあるが、値段を見るとデパートの総菜売り場と変わりない値段だ。また、韓国料理の惣菜店も量り売りでヤンニョムから揚げやもやしの惣菜を売ってはいるが、それもまた割高な気がする。一番ショックなのは、お気に入りの惣菜店が、もう煮魚の弁当を売らなくなったことで、私は買うものがなくて立ち往生してしまった。そう言えば、煮魚の弁当はいつまでも売れ残っていて、店の閉店間際に行っても、ちゃんとあった。それがまた嬉しかったし、値段も確かに高かったが、魚はとても美味しかった。

 まあ、私がその店に行くのは、盆と正月の年に一度か二度に過ぎないから、それでよかったのだが、毎日利用する人は変化があった方がいいかもしれない。その惣菜店に並べられていたのは、何処にでもあるハンバーグ弁当やから揚げ弁当で、明らかに全く売れていなかった。ミチコさんと待ち合わせしたのは午後5時だから、本当なら、残り僅かになっていなければならないのに、まだ弁当もお惣菜も山と積んであった。どうしたのか、全然人気がない。それなのに、周りを見渡してみると、4時頃にはまだあった韓国の惣菜店のもやしと青菜の和え物は完売していた。隣の中華の惣菜店のシュウマイもいつのまにか売り切れていた。どう考えても割高なのに、売れていくのはどうしてなのだろうか。あるいは、私が知らないだけで、皆が知っている有名店だからなのか。

 ヤキトリ専門店には、5時を過ぎると、突然人の行列ができて、次々と買い求めては去って行った。そんな様子を見ていても、さっぱり買う気に慣れず、何を買ったらいいのかわからない。このショッピングモールで弁当を買うのは、少しでもミチコさんの労力を省くためで、面倒な後片付けをしなくてもいいようにとの配慮だった。いつもはミチコさんの弁当も一緒に買うのだが、ミチコさんは家に残り物があるからと遠慮した。結局、いつもの店でハンバーグ弁当を買ったが、それは誰かが、私の見ている前でそれを買ったから釣られて買っただけのことだ。家に帰って食べてみると、想像通りの味でがっかりした。いずれにせよ、帰省での私のささやかな幸せは打ち砕かれた。さて、これからどうしたものか、いい考えが全く浮かばない。

 二つ目のトラブルは、何たることか、差し歯が取れてしまったことで、それはくら寿司で煮アナゴにかぶりついている時に起こった。ガジッという音がして、一瞬何事が起きたのかわからなかった。確かめてみると、何やら小さな石のようなもので、差し歯に間違いない。急いで、ティッシュに包んでバッグにしまう。幸運にも、奥歯ではなく、前歯に近い歯だったので、物を食べるのに何の支障もない。ただ、大口を開けて笑った時に見映えがあまり良くないだけのことだ。気にしても仕方がないので、しばし、取れた差し歯のことを頭から追い出すことにした、まるで何もなかったように。

 それから、まだまだあるのだが、今日はひとまずここで終わりにして、続きはまた後日ということで。

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