人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

足の痛みと列車の遅れ

トラブルの連続に開き直って

 実を言うと、今回の帰省は最初から暗い影が付き纏っていた。そう、6月に発症したベーカー嚢腫がまだ治っていなかった。7月14日に整形外科の先生に診てもらって、「一カ月前よりだいぶ小さくなっていますよ。これくらいなら、針を刺差さなくても大丈夫、様子を見ましょう」と言われて、ホッとしていた。プラス思考でお盆になれば、痛みも無くなるだろうと高をくくっていた。それなのに、現実は時折痛みが襲ってくる状態が続いていた。痛みが断続的なので、痛くて歩けないということはないが、夜、布団の中で、じっとしている時に突然ずきずきとした痛みがやってくるときがある。まあ、それは少し我慢すれば消えてくれる痛みなので、大騒ぎすることの事でもない。

 普段は何かに熱中することで、痛みと真剣に向き合わないようにしていた。気をそらして、紛らわせるようにしていたのに、帰省の最中ではそれができない。やはり、頭の中は、厄介で、いつまでたっても膝にへばりついて動かないベーカー嚢腫のことでいっぱいだ。実家にはマルプー(マルチーズとプードルのミックス)の犬一匹と猫2匹がいて、十分リラックスできるはずなのに、それができない。それに、食事をするときも普通なら正座をするのに、それもできない。足が痛いから、正座ができないのと、義姉のミチコさんに言い訳をするのも、情けなくてできない。正直言うと、正座の仕方も忘れた。

 そんなことばかり、考えていたら、案の定、一日目の夜、布団のなかで突然痛みが襲って来た。いつもより痛みが強く感じられて、耐えられるだろうかと不安になった。すぐに隣の部屋で寝ているミチコさんを起こして、病院に連れて行ってもらおうと本気で思った。すると、冷静なもうひとりの自分が、「病院に行ったところで、何になるの?それに痛みが消えるわけじゃない」と囁いた。その通りだった、病院に行ったところで何も解決しないのだ。すぐに楽になりたい、だが、それは無理な注文だった。痛みに耐えるのが患者の宿命なのかもしれない。そう考えたら、不思議なことに痛みがすうっと消えた。

 さて、もう一つの問題は、台風7号の影響による列車の遅れだった。実家の最寄り駅から在来線を乗り継いで、東海道新幹線に乗る予定だったが、16日は果たしてどうなるのかと気を揉んでいた。15日は計画運休というのは知っていたので、16日は大丈夫だろうと楽観していたら、とんでもない。朝から運転見合わせだった。それでも、別にその日でなくても、翌日にでもゆっくり帰ればいいと思っていた。だが、事はそう簡単ではなかった。私はチケットをネットで買っていて、いつもICカードで乗車していた。となると、その場合はどうしたらいいのだろかが、全く分からない。その日に帰ることは半場諦めていたが、どうすればいいのかが気になって仕方がなかった。それで、最寄りのJRの駅に聞きに行くために、ミチコさんに車を出してもらった。最寄りの駅と言っても車で30分もかかるが、何もしないわけにもいかない。

 JRの駅の職員にどうしたらいいか尋ねると、驚いたことに私のチケットはWEBサイトでなければキャンセルできないという。窓口では取り扱っていないと言われて、茫然自失した。何を言っているのだ、WEBサイトなんて、今ごろはアクセスが集中して繋がらないに決まっているではないか。それなのに、窓口という最後の頼みの綱も切れていた。では、私がすべきことは何なのですか、私はいったいどうすればいいのですか、と言いかけてやめた。すぐに別の視点から「では、今日なら乗れるのですね」と尋ねると、「もちろん乗車できます」との言葉が返ってきた。それで、私の決心は固まった。何としてでも、今日の列車に乗ろうと決めた。何でもいい、立ってでもいいから、自分の家に帰ろうとした。

 ミチコさんには悪いが、また家に帰り、荷物を持って駅に戻ってきた。その間、1時間あまり、後から考えるとそのロスの時間が無かったら、予約した列車に乗れていた。だが、”後悔先に立たず”で、考えるだけ時間の無駄というものだ。目の前の現実を直視し、すべてを諦めていたから、満員電車並みの列車に乗ることに抵抗はなかった。考えてみたら、こんな状況に陥ったのは若い頃以来で、20年ぶりぐらいだろうか。

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