人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

学校の宿題、いつどこでやる?

もっともな意見に、思わず膝を打つ

 毎朝、とはいかないまでも、新聞を読むのを日課にしている。たまにとても面白い記事に出会うと、おばさんのやさぐれていた心が、パアッと明るくなる。まさにこれが新聞を読む者にだけ与えられている特典かと、ひとりでほくそ笑んでいる。今朝は朝日新聞に載っていた、『みんなで語ろう』のコーナーで、率直でかつユニークな投稿を読んで嬉しくなった。お題は「私の選択」で、小学生の高島優月さんは宿題についての悩みを赤裸々に書いていた。どうやら宿題をいつどこでやるかについて、とても困っているようなのだ。とてもユニークなのは、宿題をやるチャンスを3段階にわたって、解説してくれていることで、読み手にとっては、説明がわかりやすくて、思わず、そうだよねえ、と頷いてしまう。チャンスその①は給食を食ベ終わった後だが、ついつい本を読んでしまうそうだ。要するに、別に今やらなくても後でやればいいという刹那的な、よくある”後で”である。その”後で”がいつになるかわからない時でも、とりあえず、”後で”で何でも済ます。高島さんんは、その時は「めんどくさい」と思ってしまって、次のチャンスにやればいいと考える。そのチャンス②はそうじを早く終わらせた後の時間で、この時もまた、「今でなくてもいいよね」と思い、友だちとトランプをしたりして、遊んでしまうことが多いという。

 そうなると、「学校で宿題をやるチャンスはもうありません」となり、最後のチャンスは家でやるしかなくなる。その家が一番難所で、家にはテレビというものがあり、魅力的な誘惑には到底抗えない。それで、あろうことか、「まあいいか、朝やればいいよね」と自分を正当化して、乗りきる。さて、次の朝、起きたときは宿題のことなどすっかり忘れていて、出かける時になって「そう言えば、宿題やっていなかった!」と気付き、猛スピードで宿題をやる羽目になる。いつも「昨日やっておけばよかった」と後悔するそうだ。そんな高島さんも、たまに前日に済ませると、翌日は物凄くさわやかな気分になる。なので、高島さんにとっては「宿題をいつどこでやるか」はとても重大な選択なのだ。

 宿題は何のかんの言っても、絶対にしなければならない重要事項で、忘れようものなら、その代償は何倍にもなって自分に降りかかって来る。そのことは子供の頃の経験で身に染みている。廊下に立たされたり、居残りで何倍もの漢字を書かされたりと、例をあげたらきりがない。宿題をやるのは確かにめんどくさい。でも、少し考えれば、そのめんどくさいを回避しようとしたら、少しのレベルのめんどくさいが何倍にもなるのだと大人になった今ならわかる。めんどくさいのがそれほど嫌なら、宿題はすぐにやっておくべき必須事項なのだ。

 高島さんの投稿がなぜ興味深いかと言うと、「そう言うことってあるよね」とか「その気持ちわかるよ」と私のようなおばさんにも思わせてくれることだ。さすがに今ではもう宿題を忘れてしまった夢を見ることはないが、当日の朝、宿題があったと気付くことほど恐ろしいことはない。呑気に朝ごはんを食べている場合ではないのだ。途端に、学校へ行くことが恐怖以外の何ものでもなくなる。小心者の私は、目立つのが嫌なので、宿題を平気で忘れるクラスメートを尊敬の眼差し度も学校を楽しいと思ったことはない。なぜなら、学校は勉強するところで、常に緊張を強いられるところだ。となると、家に帰ったらホッとして、寛ぎたくなるのは当然だ。宿題のことなど考えたくはないのが本音で、ご飯を食べて、テレビを見ていたら眠くなる。眠くなったら、もう宿題どころではなくなる。

 どうやら、家は宿題をやるには心地良すぎる場所なのだ。そうなると、ぜひとも学校で宿題をやる癖をつける方がいいかもしれない。想像力をマックスに働かせて、「めんどくさい」の副産物を思い描けば、「今でしょう、今がやるべき時」と意識することはそんなに難しい事ではないだろう。

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