人生は旅

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AI翻訳で、英作文の課題が楽になる?

果たして、外国語を学ぶ意味はあるのだろうか

 先日の朝日新聞の投稿欄『声』を読んで、椅子から転げ落ちるような衝撃を受けた。昨今の高校生の実態など分からないので、余計に目を丸くしてしまった。特に私を卒倒させるような事実を書いていたのは、群馬県在住の高校生、石坂愛夏さんだった。「AI翻訳により、私たちの生活は格段に便利になった。今まで長い時間をかけていた英作文の課題は一瞬で翻訳されるようになった」と堂々と書いていたので、なおさら驚いた。やはり、皆使っているのだ。それも高校生が宿題に活用し、その事実を隠そうともしない。学校も教師も公認なのだろうが、ちょっと、待って欲しい。便利なのはわかるし、時間の節約になってコスパがいいが、そんなにテクノロジーにばかり頼ってどうするのだろう。私たちの頭の中は空っぽになり、それじゃあ,まるでテクノロジーの奴隷にすぎない。ただ、石坂さんのえらいところは、「いつしかAI翻訳ばかりに頼り、自ら考えることを放棄している自分がいることに気が付いた」とちゃんと、自らを客観的に見つめているところだ。石坂さんの投稿記事のタイトルは「便利さに溺れず、学習に工夫を」だが、果たして、そんなことができるものなのだろうか。普通の人間はどうしたって、自然と楽な方に引き寄せられるものだ。もし私が今、高校生だったら、英作文の宿題などは、AIにお任せして、遊び惚けるに決まっているだろう。いや、最初は真面目に自分に厳しいルールを課したとしても、怠け者の性格ゆえに守れるはずがないのは明かだ。

 となると、究極の問題は、なぜ膨大な時間をかけて、英語を学ぶ必要があるかということだ。AIが一瞬にして作り上げる英作文を無い頭を振り絞って、ああでもないこうでもないとえっちらおっちら考える、それって、時間の無駄ではないだろうか。そんなふうにも考えられるが、決してそうではないと今の自分なら言える。だが、何も経験していない高校生だったとしたら、やる気をなくすのではないだろうか。それとも、それはあまりにも単純な発想で、今の高校生はもっとうまくやれるスキルでも持ち合わせているのだろうか。それくらい柔軟性がないと、今の世の中を上手く泳ぎ回ることはできないもかも知れないが。

 それはさておき、以前新聞に載っていた、全国高校生テストの英語の問題には困惑せずにはいられなかった。少し長めの英文だったが、「未来の話です」と前置きがあったて、英文の内容は、「あなたの家にはロボットがいます。そのおかげで日常生活はずいぶん楽になりました」というようなことだった。さて、設問は「あなただったら、ロボットに何をして貰いたいですか。そして、そうすることによってあなたにはどんなメリットがありますか」で、もちろん英語で答えなければならない。私などは考え込んでしまって、日本語でだってすぐには答えが出ない。う~ん、これは難問だ、これを即答するだなんて、いったいどこのどいつができるのだ、とやけにもなる。降参した私はおずおずと解答例を見てみた。そしてその答えに愕然とした。「ロボットに宿題をやってもらいます。そうすれば、使える時間が増えて、遊べるからです」。この解答例を何度も読んでしまった。こんな安易な考えなら、私だって一瞬頭をよぎったが、それでも、それをしたらだめでしょう、宿題はあくまでも自分でやらなきゃというステレオタイプの考えに縛られて、それはないでしょう、となったのだ。

 それで、私は気が付いた、今の世の中では、ロボットに宿題をやって貰っても、とやかく言われることはないのだと。なぜなら、解答例がちゃんと肯定してくれているのだから。少なくとも、私はそう受け取った。今の時代は、ロボットに宿題をやって貰ってでも、自分の24時間という限られた時間を有効に使うことが求められている時代なのかもしれない。それでも、想像してみると、なんだかしっくりこない。違和感だらけで、とても受け入れられない。

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