人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

夏休み

今思うと、ダラダラ、ぼんやりとしている間に過ぎた

 今朝、散歩の途中で、天祖神社の前を通りかかったら、ちょうど子供二人が入っていくところで、その後に父親に連れられた男の子がやってきた。うん?今日は何事かと思ったら、そうだった、学校はもうすでに夏休みに入っているのだった。そう言えば、神社の前に『ラジオ体操、7月23日、朝6時半から』と書かれた張り紙が貼ってあった。でも今どきの子供は朝早く起きて、ラジオ体操になど来るのだろうかと疑問に思う。私の子供の頃は朝早く起きて、涼しいうちに勉強をしましょうなどと先生に言われていた。その意味で、毎日の生活を規則正しくするために親が活用したのが、ラジオ体操だった。本人は朝早く起きたくなくても、親切にも親が起こしてくれたので、しかたなく眠い目をこすりながら、ふらふらと公園まで歩いて行くしかない。

 皆がラジオ体操をしているのを見て、やっと目が覚めるという体たらくだった。その頃の親は、あくまでうちの親に限るが、自分たちの生活に忙しく、子供の夏休みを最高のものにしてやろうなどと配慮する余裕はなかった。それで、自然とほったらかしになり、ラジオ体操がやっている間は何とか早寝早起きの体裁は整ってはいたが、それも8月の初旬であっけなく終わった。それからというものは、早く起きるという目的を見失い、のんべりだらりと、「暑い、暑くて死にそう」などと言っているうちに8月も後半になった。もっとも、その間にはお盆で姉や親戚が来てどこかに連れて行って貰ったりした。あるいは、夏祭りで新しい浴衣を着せてもらったり、金魚すくいをしたり、夜店でおもちゃを買って遊んだりしたものだ。

 だが、祭りの後はいつも寂しい。いや、というよりこの場合は大変で、どっさりとやるべき宿題が残っているのだ。やりたくはないが、やらないと「2学期の始業式に間に合わない」と、子供心に追い詰められる気分になった。それはそうだ、なんと言っても自分が毎日行くべき場所は、学校しかないと思っていたから当然だ。学校こそが唯一の生存場所だと思っていたから、現在のような不登校などという状態は想像もつかない時代だった。

 さて、ラジオ体操に話を戻すと、昔は8月の最後の日に「よく頑張りました」というご褒美にパックのジュース一個を貰って帰った。それなのに、なんと今はレジ袋にもりもりに詰まったお菓子を貰えるらしい。やはり、何にでもワイロは有効である。なぜそんなことを知っているかと言うと、去年の夏早朝に3人共、同じようなお菓子が詰まって膨れ上がったレジ袋を提げている親子連れを見かけたからだった。彼らの姿は誰もいない舗道でやけに目立っていて、自然と朝っぱらから一体何だろう?と思ってしまった。でも、すぐにその謎は解けた。なぜなら、彼らのうちのひとりが首からラジオ体操カードを下げているのを見てしまったからだ。それで、昨今は人寄せ、いや、子供に来て貰えるためのそれなりの工夫が必要なのだと気付かされた。

 そんな私が大人になって、NHKラジオのフランス語講座でバカンスの話を聞いた時の衝撃は想像に難くない。何とフランス人のバカンスは長くて3週間にも及ぶらしく、それは彼らの人生においてとても重要で不可欠なものらしい。彼らはバカンスのために働いていると言っても過言ではないらしい。しかも、子供の学校の休みは約3カ月と聞いて、頭がくらくらしてしまった。そんな長い時間をいったいどうやって家で過ごせばいいのか理解に苦しむが、その時は確か、親は子供をサマースクールに入れたり、あるいはキャンプに行かせたりするのだとのことだった。そうして自分たちは子供とは別に二人でゆっくりとバカンスを過ごすのだ。下世話な話で申し訳ないが、その費用だってどう見積もっても安くはないだろうことは確かだった。それで私は彼らのことは自分と同じ立場では考えないようにしてきた。彼らは自分とは別世界に住む人たちくらいにしか思えなかったからだ。

 最近のNHKラジオのフランス語講座で聞いた話によると、フランス人のほとんどの人たちは、国内でバカンスを過ごし、ホテルには泊まらないそうだ。要するに宿泊費用を節約するために、別荘や友達、親戚の家などに泊まることが多い。正直言って、この事実を知ってホッとした。家族で長期間ホテルに泊まったら、どれだけかかるかと考えたら、目の玉が飛び出る金額になる。それに、フランス人といえども、経済的な事情により、バカンスに行かない人たちもいることを知って、なんだか切なくなった。

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