人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

漢字が書けなくなった

Z世代と呼ばれる人からの悲痛な声

 朝日新聞の投稿欄『声』を読んでいたら、「漢字書けなくなったデジタル世代」というタイトルが目に飛び込んできた。投稿者は大学院生の水落葵さんで、冒頭から漢字を書けないことが増えた、と歎いていた。スマホやパソコンではよく使っている漢字が、形はわかっているのに、いざ書こうとすると上手く行かないのだという。水落さんはこの絶対に認めたくない現実に打ちのめされてしまった。実を言うと、今の私がまさにその状態で、いちいち辞書を引き、小さな文字を拡大鏡で確かめている。実際に書いてみると、あれ、この漢字って、こんな字だっけ?と思うことが多い。何たることか、一番得意な日本語の漢字が書けないだなんて。これでは、外国人の熱心な日本語学習者の方がよっぽど漢字を知っているのではないだろうか。実に情けないことになっていた。

 まあ、こうやって毎日、パソコンで文字を打って、ブログを書いているのだから、仕方がないといえば仕方がないが、このままではいけない。なんとかしなければと思う。変な話だが、今では紙の上よりも、パソコンの画面を見つめる方が何かがひらめくまでになった。この何もない、真っ白な空間の隙間に何かがぼんやりと浮かんできて、文章が出来上がる。いつだってそんな感覚が私の背中を押してくれている。そのおかげで、いまだにブログを書けている。なので、今更、紙で書けと言われても困ってしまうのが現実だ。

 だが、それはそれとして、日本人として、漢字を忘れ、漢字を書けなくなることは絶体に嫌だ。毎日の生活の中で、最大限意識して、そんな忌々しき事態は何としても阻止しなければならない。もちろん自分なりに努力はしている。昨年海外旅行から帰ってきた時、毎日英語だけは勉強しようと決めた。これまでは旅行が終わったら、「はい、それまで」と英語の勉強をやめていた。それなのに、どうしたことか、さしあたって行きたい国があるわけでもないのに、毎日やろうと自然に思えた。要するに、いつ行きたくなるかわからないから、とりあえずその準備を普段からしておこう。そうすれば、躊躇することなく、行きたくなった時にいつでも行ける、と考えた。海外旅行の際用意するものは、言葉、お金、持って行く荷物と色々あるが、そのうち一番優先されるべきはやはり言葉なのではないだろうか。おそらくそう思ったのだ。

 頼りにしているのはNHKのラジオ英会話の放送だが、ただ漫然と聞くだけでなく、ノートに書き取るようにしている。テキストは買わない主義なので、必死になって耳を傾けている。テキストを買わないのは、なまじっかテキストに頼り切り、真面目に音だけに集中することをやめてしまうから。聞き取れない英文は何度も何度も聞くので、たった15分の番組を何倍もの時間をかけて理解することもある。

 その時大事なのは頭でわかった気にならず、文字で表現することで、その時に訳文はできるだけ、漢字で書くということだ。いざ、漢字で書こうとすると、書けないことが多い。字そのものの格好はわかるのだが、知ったかぶりをして書くと間違っている。それに、送り仮名がわからなくて和英辞典で確かめることが多い。例えば、「みじかい」は「短い」なのか、それとも「短かい」なのか、どっちだったのかわからなくなった。昨日なんかは、豊富の「豊」が書けなくて、焦った。また、番組の中の最後に英作文を作るコーナーがあるのだが、問題の英文の中にある「魅力的な」の「魅」という漢字が書けなかった。字面はなんとなく頭の中に浮かんではいるのだが、その全体像は靄に包まれたまま。そんなはずはないと、紙に何度も何度も、かつての記憶を手繰り寄せるように、思い浮かぶままに書いてみるのだが、しっくりこない。そんな字ではないのだとはっきりわかる。

 知ってるつもり、それくらいは朝飯前で書けるに決まっている漢字だったのに、ショックを隠せない。これはもう危ない事態だ。私の頭の中で、漢字が絶滅危惧種になりそうだ。なので、私はこれからも意識して漢字を使って、英語を勉強していこうと思っている。

mikonacolon