人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

初めて知った、当たり前の有難さ

今週のお題「上半期ベスト◯◯」

足の痛みが、当たり前の有難みを教えてくれた

 早いもので、あっという間に7月に入り、そろそろお盆の帰省のことを考える時期になった。でも私ときたら、いつもとは打って変って憂鬱な気分だ。その原因は、足の痛みで、右足の膝の裏にできたベーカー嚢腫のせいで、足の曲げ伸ばしができない。膝をつこうとすると、ズキンとする激しい痛みに襲われて、悶絶する。もちろん、正座しようだなんてことは、怖くてできなくなった。最初は、右足に張り付いている静脈瘤が悪化したのかとも思ったが、そうでないことは明かだった。なぜなら、膝を曲げようとすると、何かが突っ張る感じがしたからだ。膝の裏側に何かできていて、その何かが邪魔をして、スムーズな動きを遮っていた。でも、今まで生きてきて、こんな症状を経験したことはなかった。果たしてこれは何なのだろう。たちまち不安がどっと押し寄せて来た。

 でも、私はあまり病院が好きではないので、すぐには診てもらおうとは思わない。1週間ほど様子を見たが、いっこうに変わらないので、病院に行くことにした。こんな時は普通は整形外科に行くものなのだろうが、今まで整形外科とは無縁の私には敷居が高すぎた。それに近所にある、あるいは、歩いて行ける距離にある整形外科はどこも混んでいた。朝から順番を取るために並んでいる様子をいつも目にしていたからでもある。なので、自分が普段から行き慣れているところ、スーパーの隣りにあって、人の出入りが傍目からもわかる場所、つまり町の診療所に行くことにした。そこは、巻き爪で足が痛かったり、あるいは左肩が痛くて腕があげられなかった時はもちろん、インフルエンザの予防接種だってそこでして貰っていた。

 私にとっては実に敷居が低く、行きやすい場所だった。整形外科は専門ではないが、月に一度専門の先生が来て見てもらえることになっていた。となれば、何も躊躇する理由はなかったので、待たされることを覚悟して行って見た。自分の足の痛みの原因を知りたくて、根拠のない不安から解放されたい気持ちでいっぱいだった。その時の私の頭の中にあったのは、きっとレントゲンでも撮って、湿布と痛み止めを貰ってそれで終わりではないかと言うことだった。ところが、実際は先生から「では、膝を超音波で診てみましょう」と言われて、目から鱗だった。診察台に横になって、診てもらうとすぐに原因がわかったようだ。先生はモニターの画面を私の方に向けて、「ほら、ここに黒い部分がありますよね」と説明してくれる。見ると、まるで小さな水たまりのような大きさの黒い陰がハッキリとわかる。それがベーカー嚢腫だった。 

 その黒い陰の正体は水で、それを袋状のものが覆っていた。そう言えば、以前会社の同僚が膝に水が溜まって痛いので、病院で抜いてもらったと言っていたのを思い出した。それなら、私の場合もそうすればいいのかと少し安堵したのに、先生によるとそんな簡単な事でもないらしい。今すぐにでも注射器で針を刺し、水を抜くことはできるが、そうすると癖になるからあまりしたくないらしい。なぜ積極的になれないのか、そこのところをもっと突っ込んで聞きたかったのだが、痛みを抱える身にはそんな余裕などあるわけもない。知りたがり屋の自分を封印し、先生の言うことを素直に聞くしかない。

 家からその診療所までは歩いて20分ほど、痛いから歩きたくないという発想は私にはない。先生に、今の症状について「何とか歩けるんですね」とか「階段は大丈夫ですか」とかいろいろ質問される。要するに少し様子を見ましょうと言うことになった。少し意外だったのは、正座に関する先生の見解で、日本人本来の畳に座ると言う習慣がいかに膝に悪いかということだった。昨今は日本でも椅子に座る習慣が定着したおかげで、ずいぶんと膝に悩みを抱える患者さんが減少したというのだ。考えてみれば、私も正座が大好きだし、以前膝に水が溜まって病院で抜いてもらったと言っていた同僚も同じだった。そうか、正座は膝に負担がかかるのか、とわかって困惑するばかりだった。

 いずれにしても、正座は普段からはしないほうがよさそうだ。正直言って、一カ月近くも膝の裏に痛みを抱えていると、以前の何も問題がなかった自分が懐かしい。当たり前の自分を以前は当然と思い、たいして幸せを実感することもなかったし、何の有難みを感じることもなかった。”何事も失ってみて初めてわかる”といったフレーズをどこかで聞いたことがあるが、まさにそれである。

mikonacolon