人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ベーカー嚢腫は消える

水の溜まった袋が自然消滅することに目から鱗

 昨日3週間ぶりに、町の診療所に行った。先月、痛み止めを2週間分貰って、ベーカー嚢腫の様子を見ていたが、その日に来院するように先生に言われたためだった。その日は月に一度、整形外科の先生が来るらしく、専門の先生に診てもらった方がいいという考えからだった。私の右膝の裏にできた水の入った袋状のものが、膝の曲げ伸ばしを邪魔していた。曲げようとすると突っ張ったようになって、激痛にウウ~っとなる。右膝に少しでも触れようものなら、ビビイッと、電流が走ったようになって、しまった!となる。それで、座るときは右膝をかばいつつ、ゆっくりと左ひざをつくようにしていた。

 じっとしていれば、大丈夫かと言うと、そうでもなく、時々激痛が襲ってくるが、ほんの一時だけなので、まだ我慢できていた。そんな状態で歩くのはとても無理だと本人も思っていたが、それが意外にもなんとか歩けるから不思議だ。町中を歩いていて、人様から「あの人、足が痛いみたいよ」と思われないくらいには歩けていると思う。段差のない道はいいとしても、問題は階段だが、上るときはまだいいが、降りる時には足に負担がかかるのだと初めて知った。まあ、最初から、痛くても、それでも歩くと決めていた、いや、むしろ歩いた方がいいと思っていた。それを実行していただけなので、足の痛みのせいで外出を嫌がるような気持ちはさらさらなかった。

 私はベーカー嚢腫ができたのは、自分の最近の日常生活が原因なのだと薄々気づいていた。よく考えてみると、これはコロナ禍の3年間の代償ではないかとさえ思えてくる。毎日のように通っていたカフェにも行かなくなり、自然と外への関心は薄れていき、家に閉じこもりがちになった。もちろん早朝散歩は続けていたが、それだけでは足りないことは明かだ。ベーカー嚢腫ができたのは運動不足、つまり血行が悪くなっているからと勝手に考えていた。診療所での診察時にベーカー嚢腫の黒い陰を超音波画像で見せられた時はショックを受けた。足の痛みの原因は分かっているのに、すぐに先生が処置をしてくれないのは、何か訳があるとは思っていた。

 だが、まさかベーカー嚢腫が自然消滅するなんてことまでは考えが及ばなかった。だから、このまま症状が悪化して、もしも歩けなくなるようなことになったら、躊躇せず診療所に飛び込んで注射器で水を抜いてもらおうと本気で考えていた。でも、現実は、だんだん右膝がつけるようになり、右膝を曲げる時も前ほどは電流が流れなくなった。楽になってきているのにも関わらず、今度は歩くときに足が痛いのが気になりだした。30分ほど歩くともう限界になった。幸運なことに、家から診療所までがちょうど30分で行けた。

 ところが、整形外科の先生の診察を受けた途端、仰天した。先生が私の右膝を両手で触診し、「ほとんど水の袋は無くなっていますね。ただ、あと少しまだありますけど」と言ったからだった。さらに「この程度なら、注射器で水を抜く必要もないでしょう。様子を見ましょう」と付け加えた。信じられなかった、3週間の間にベーカー嚢腫が消えただなんて。そして、あと少しが消えてくれれば、約1カ月もの間、右膝の裏に張り付いていた邪魔ものとサヨナラできるのだ。そう思ったら、単純な私はホッとして天にも昇る気持ちになったが、それはいつなのだろうか。しかたがない、自らが実験台となって、それを確かめるしかない。そもそも、あんな水たまりのようなものが膝の裏に急にできるわけもない。おそらく、長い時間をかけて少しずつ溜まっていって、あの大きさになったのだろう。だとすれば、それが消える時もまた少しずつというのが物の道理なのだと考えた方がよさそうだ。しばらくは厄介な痛みと付き合わなければならない。”元の正常な足よ、我に返れ”と叫びたくなる。だが、今回の事で、思い知ったのは当たり前の大切さ、有難さだった。特別なことが何もなくても、何の変哲もない、代わり映えしない日常がどれだけ、かけがえのないものかということだった。

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