人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

三段重ねの豪華弁当

今週のお題「お弁当」

お母さんはどんな人?

 中学の時、クラスに転校生がやって来た。その子は福田君という立派な体格の男の子だった。たいして気にもしなかったが、お弁当の時間になったら、福田君は皆の注目の的になった。なぜなら、福田君の弁当はクラスの誰よりも群を抜いて豪華だったからだ。本人にとってはそれが当たり前のようだったが、クラスの皆にとってはあり得ない光景だった。その弁当は、お正月にお節料理を詰めて置く三段重ねのお重で、一番下に白いご飯、他の二段はすべておかずが詰められていた。といっても、私は自分の目でまじまじと確かめてみたわけではないが、遠目に見た感じではそのようだった。その日以来、お弁当の時間は男子の何人かがいつも福田君の弁当を見学に行って、歓声をあげていたのを思い出す。

 食べ盛りの年頃の男子は大人顔負けの特大の弁当箱の弁当を食べていたが、いくら何でもお重に詰めてあるとは、まさに驚きだった。ご飯はいっぱい詰められるが、問題はおかずである。毎日あのお重の宇宙のようなスペースを二つも埋めるだなんてことは、今にして思えば難題中の難題だ。さしずめ、レタスやキュウリ、トマトなどの野菜類でその場をしのぐしか方法が見つからない。もし私が三段重ねのお弁当を作る立場なら、恐ろしいほどの隙間が恨めしくなるだろうことは想像に難くない。それこそ、毎朝の弁当作りが苦行以外の何ものでもなくなってしまう。なので、今になって私は思う、福田君のお母さんは弁当に命を懸けていたのだと。

 息子の弁当作りにありったけの愛情を込めていたのだ。今の時代、”手作り弁当は母親の愛情表現なんかじゃない”などと、新聞やテレビではよく言われるが、紛れもなく福田君のお弁当はそれだった。毎日福田君はクラスの皆の羨望のまなざしを浴びながら、満足そうにお弁当を頬張り、ご飯もおかずも綺麗に平らげていた。爆発的な食欲で気持ちいいほどの食べっぷりがとても印象的だった。毎日とてつもない量のお弁当を食べているので、福田君の身体はあんなにぽっちゃりとしているのだった。それにしても、福田君は部活は何をしていたのだろうか、おそらく何か運動部に所属していたのは間違いないが、その点については全く記憶がない。福田君と言えば、三段重ねのお重弁当のイメージが強烈すぎて、彼がどんな性格だったのかはさっぱり思い出せない。ただ、私の頭の中では今でもその面影は消えてはいないので、彼の顔をちゃんと思い出すことはできる。

 そう言えば、福田君のお母さんを一度だけ見かけたことがある。それは中学校の授業参観の時で、偶然親子で話しているのを目撃した。福田君のお母さんの第一印象は小柄でほっそりしている普通の人だった。長い髪を一つに縛っていて、服装も他の母親たちと比べると地味だった。今と違って、当時の授業参観は母親たちにとって”ハレ”の場だった。小学校の時、クラスで一番絵が上手かった松本君のお母さんはいつも素敵な着物姿で子供の目から見ても美しい人だった。もちろんお化粧もちゃんとして、その手にはきらりと光る指輪まではめていて、思いっきりおしゃれをしていた。でも、松本君の家に遊びに行った時迎えてくれたお母さんはどこにでもいる”普通の人”だった。要するに、日常の”ケ”と特別な時の”ハレ”をうまく使い分けていたのだ。

 そんな特別なハレの場にも関わらず、福田君のお母さんはおしゃれをしていなかった。おそらく、そんなことは眼中になくて、彼女の視線はすべて息子の福田君に注がれていたのだろう。自分のおしゃれにお金を使うよりも、毎日の弁当の食材にお金を使うことを優先していた。それが福田君のお母さんの生き方だった。ふと思ったのだが、昔人気があったマンガ『花より男子』で主人公のつくしのお母さんが毎朝気合を入れて娘の弁当を作る場面がある。うちは貧乏には違いないが、だからせめて弁当だけは豪華にという譲れないポリシーが描かれていた。そんなこだわりがエネルギーを産みだし、モチベーションとなっていた。

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