▲朝比奈秋さんが第7回林芙美子賞を受賞した、デビュー作でもある『塩の道』が収められている著書「私の盲端」。
何かに動かされるようにして書店に急いだが
先日、偶然にテレビの前を通りかかって、芥川賞と直木賞が発表になったとのニュースを聞いた。芥川賞が朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』だと知って、一瞬あれ?と思った。今まで一度もその名前を聞いたことがなく、新聞の新刊書のコーナーでも、書評欄でも、著書のタイトルさえもお目に掛からなかったからだった。そうなると、私の好奇心はもう止まらない。どうかしたら、絶対買いそうな勢いで近所の本屋に駆けつけてみるが、それらしき本を見つけようと目を皿のようにして必死で探した。こんな時は気が効く本屋なら、でかでかと、「芥川賞、直木賞受賞作品」とばかりに宣伝してもいいはずなのだが、それもなかった。まあ、だから、「使えない本屋」だと皆から揶揄されるのだろうが。
ただ、平積みの単行本が並ぶ一角に、2列に本が積まれていたであろう空間がぽっかりと空いていて、これは何?と訝しく思った。まさか、これだけの本がそんなに大量に一気に売れたなんてことがあるだろうか。不思議に思って、ポップに書かれた文面を見ると、「『わたしの知る花』 町田そのこ」とあるではないか。さすが、町田さんである。噂では何度も「書店員さんに愛される作家」だと聞いたことがあるし、事実、本屋大賞に選ばれる常連だった。そうは言っても、町田さんの小説を読んだこともなく、積極的に読もうとすらしない私には、それ程愛される理由がわからない。なぜ読まないかと言うと、私の単なる決めつけで、食わず嫌いに過ぎない。町田さんにはなんの非もない。
さて、朝比奈秋さんの本を探し行ったのに、町田さんの人気に仰天してしまうとは、自分でも意外だった。気を取り直して、今度は歩いて20分のところにある中規模書店に行ってみた。だが、ここでも状況は同じで、”芥川賞、直木賞祭り”などはやってはいなかった。店内も静かすぎて、客もちらほらしかいない。どう見てもお通夜の雰囲気である。あわよくば、衝動買いしてしまいそうな勢いだったのに、一転、落胆して家に帰るしかなかった。家に帰ったものの、なお私の好奇心はくすぶり続けていて、いつものようにネット検索を始めた。
公立図書館のサイトで、著者名の欄に「朝比奈秋」と入力し、検索をクリックした。残念ながら、『サンショウウオの四十九日』はなかったが、過去の作品は数冊あった。野間文芸新人賞を受賞した『あなたの燃える左手で』はすでに予約が入っていて、ダメだったが、『私の盲端』はすぐに借りられた。この『私の盲端』には『塩の道』という短編が入っていて、それが朝比奈さんの作家としての原点だった。現役の医師でもある朝比奈さんが、医師でなければ絶対書けない物語を書いている。
『塩の道』に出て来る診療所で起こる出来事は、人気ドラマの『ドクターX』や「コト―診療所」とは一線を画している。それらは医師としての信念や、プライドが交錯する場面が多くあり、時に感動さえ与えてくれるが、この小説にあるのは厳然たる事実のみだ。冬になると、ホワイトアウト状態が避けられない青森の漁村の診療所では、医師はする仕事がなくて、暇なのだ。そこでは、医師は患者を治すのではなく、見送るのが仕事だからである。何もしなくていいことに無気力になるが、それは初めからわかっていて、ある事情があるからこそ、流れ流れてそこにたどり着くのだ。
ドラマなどでは、和気あいあいとしているはずの住民と診療所のスタッフとの関係も軋んでいて、一筋縄ではいかない。また、息も絶え絶えに苦しむ老人を目の前にして、家族揃って、食卓を囲み平気でご飯を平らげると言う記述にも驚かされずにはいられなかった。年配者が命が尽きるのを皆で見送ると言う意味での儀式のひとつなのかもしれない。延命治療などしない地域では、はた目には残酷と映るかもしれないが、それが自然な事なのかもしれない。そんなことをふと思った。
mikonacolon
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