人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

黒い服にこだわる訳は

黒い服はかっこいいから

 日経新聞の夕刊に連載のエッセイ『プロムナード』に作家の窪美澄さんが、「黒い服が好き」と書いていた。持っている服をざっと並べてみると、見事にまっくろくろすけで、黒ばかりなのだという。黒が好きな理由は若い頃に憧れた、コムデギャルソンの服が黒ずくめで、カッコいいと思えたからだ。当時からその完璧なイメージが頭に刷り込まれ、今なお他の色の洋服には手が出ずにいるという事らしい。窪さんによると、当時はお金がなかったので、有名ブランドの洋服を買うことはできなかったが、それなりの値段の黒い服を買うことはできた。黒い服を着て取材に行くと、なんとなくフォーマル感が出て、姿勢を正したくなり、仕事に緊張感が出て効果的だった。それ以来ずうっと黒い服で通しているが、ある時仕事で出会った女性に「どうして黒ばかり着ているの?」と不審がられたことがあった。世の中にはいろんな色があるのに、どうしてその中で黒を選ぶのか、その理由を聞かれても、理路整然とした答えはおろか、上手くこたえられない。もはや長い間に身についてしまった習慣みたいなものだ。

 窪さんの黒い服が好きという主張は、私にはとてもよく分かる。なぜなら、若い頃から、黒は目立たなくて、とても落ち着ける色だと思っていて、洋服だけでなく、靴やバックも靴下もすべてにおいて黒を優先してきた。さすがに洋服は黒づくめというわけにはいかなかったが、服に合わせる小物は黒が一番だと思っていた。特に冬に着るコート類は迷わず黒を選んできたが、ある時靴もバッグも靴下も黒を身に着けている自分の姿を見たら、異様に感じてしまった。ブテックにある姿見に写った自分がまるで葬式スタイルそのものに見えて、滑稽に思えた。それ以来、黒い色の洋服はできるだけ買わないようにと避けてきた。いや、服だけではなく、靴やバックも黒を敬遠するようになった。なので、私が黒い服を着て、黒い靴を履くのは葬式や法事などの儀式に限られる。

 私は早々と黒づくめをやめてしまったわけだが、窪さんは黒い服が好きなのだから、私はその自由意思を大いに尊重したい。それはさておき、私には告白しなければならないことがある。それは今までずうっと、窪さんを、つまり、窪さんの書く小説について甚だしく誤解していたことだ。要するに、窪さんの小説を一度も読んだことがないのにも関わらず、窪さんが、”性愛を描く作家”だと決めつけていた。それが、最近、何かの縁で窪さんの著書『星を放つ』を読む機会があって、その小説の瑞々しい読後感に目から鱗だった。

 男女の性愛の場面など全く出ては来なかった。それどころか、主人公は17歳の少年で、おそらく窪さんの息子さんが思春期に差し掛かった時のことを想像して書いていたのだろう。ページを追いながら、そんなふうに私は受け取った。高校の夏休みにその少年は母の実家である祖母の家に遊びに行く。そこには、後から幼馴染の少女も合流することになっていて、どうやら彼女は彼を好きなようで、「付き合いたい」と告白するつもりだった。ところが、彼は彼女のことなど何とも思っていなかったようで、あろうことか彼には気になる女性がいた。祖母の家についてすぐに知り会ったその女性は人妻で、小さな子供もいたが、離婚するとかしないとかで悩んでいた。

 年上の人のことで頭がいっぱいの彼は、彼女を冷たく突き放す。時に、若さというものは残酷である。特に嫌いなわけでもない、いや、むしろ可愛くて好ましいと思っている相手なのに、自分の心に嘘はつけないのだ。彼女を傷つけてまでしても、自分の気持ちを優先させた。胸がチクチク痛むがどうしようもない。年上の人に自分の気持ちを告白したい衝動に駆られるが、いざとなるとできなかった。読み終わってみて初めて、その短編小説が少年のひと夏の恋物語だとわかって、その意外さに暫しあっけらかんとしてしまった。

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