人生は旅

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寿司でカルチャーショック

今週のお題「寿司」

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パリで出会った寿司と値段に仰天して

 あの時、友だちと私はご飯の夢を見るくらいお米に飢えていました。フランスでの滞在が3週間ほどになり、そろそろ禁断症状が出始めていました。パリから始まったフランスを巡る旅もとうとう終盤を迎えてまたパリに戻ってきたのでした。物価高のパリを逃げ出してストラスブールでホッとしたと思ったら、ついでにスイスのバーゼルに遊びに行って腰を抜かしました。緑溢れる公園の脇にあるレストランのテラス席でのことです。何気なく座ったテーブルのメニューを見たら、カフェラテの値段がパリの2倍だったのです。どうりで周りにはお客さんが誰もいないはずです。こうなったら1秒でも早く「この場を離れなきゃ!」と慌てて逃げ出しました。幸いにも店のギャルソンは姿を見せませんでした。スーパーにも行きましたが予想通りすべての物が高くて、何も買わずに帰りました。

 余談ですが、バーゼルの駅の特徴でとてもユニークなのは国鉄の駅が3つもあることです。スイス、フランス、ドイツと別れているので迷ってしまいます。それでも無事ストラスブールに戻れて、次はフランス第二の都市リヨンを目指しました。それからはラスコー洞窟にバスで行ける村を巡り、スペイン国境近くの港街で海を満喫しました。フランス各地を旅して現地での人々の生活に触れながら、いつだって食べ物に飢えていた気がします。つまり、パンの食事に飽き飽きし、パンを一口噛んでみたら、それはまるで砂をかんでいるように味がありません。何か別のものを食べたいのに選択肢はないのです。プール付きの田舎のホテルの近くには店がなく、唯一ある食べ物を売っている個人商店には長蛇の列です。何を売っているのか覗いてみたのですが、小さなショーケースにはたいして商品が入っていません。そこにはハムとかチーズとかそう言った類の物がちらっと見えただけです。

 私たちはまるでお腹を空かせたオオカミのようでした。パリに戻ってきて、街を散策していたら、なんと「寿司」の看板があるではありませんか。夢か幻かとわが目を疑いましたが、現実でした。砂漠で蜃気楼を見つけたかのように、最初は疑ってかかりましたが、本物の泉でした。その「寿司」の店はレストランではなくて、ショーケースにパック詰めの寿司を並べて売っている店でした。小さな店で、テーブルとイスが並べられていて、買った物をすぐに食べられるようになっています。中を覗いてみると、ビールを飲みながら寿司を食べている男性もいて、なかなか繁盛しています。偶然支払いをして帰ろうとしている人が払ったお金の額を聞いてしまいました。20数ユーロ!小さなパック詰めの寿司と缶ビール1個で日本円にして3千円近い金額です。どうみてもお昼代としては高すぎるし、これだけ出すのならもっと美味しいものが食べられるのに!とカルチャーショックを受けました。

 もしかしたら、パリに住む人は信じられないほどにお金持ちなのかもしれない、正直言ってそう思いました。私たちは彼らのようにお金持ちではありません。でも今は旅行者で非日常なのだから、少しくらい贅沢をしても許されるはずと解釈することにしました。それに何より心が「寿司を食べたい」と悲鳴をあげていたからです。「どんな寿司があるのだろう?」と興味津々でケースを見たらがっかりしました。小さなパックにサーモンの薄い切り身がのっかった小ぶりの握りずしと鉄火巻きらしき物の2種類のみでした。日本のスーパーにあるような色とりどりの握りずしはなく、もちろんイクラなどを使った巻物もありません。日本人としては「果たしてこれが寿司と言えるのだろうか?」というのが正直な感想です。何気に店主の方をみたら、中国人だかベトナム人だかわからないようなアジア人でした。彼らは何でもオリジナルをアレンジして別のものを作り出してしまうのです。

 そんな寿司もどきの物であっても、お腹を空かせた熊にとっては、間違いなく「寿司」なのです。値段が高くても、いつも食べている寿司とは違っていても、郷に入らば郷に従えです。とにかくやっとお米が食べれるのですから、「ここではこれが寿司!」だと割り切るしかありません。「こんなものは食べられない、冗談じゃない」などという食べない選択肢はないのです。思えば、もう20年近く前の話です。寿司が美味しかったかどうかは別にして、夢にまで見たお米が食べられて感激したことは今でも忘れられません。

mikonacolon