人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

宅配寿司を取ってみたら

今週のお題「寿司」

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寿司はネタによって雲泥の差があって

 子供の頃、家にお客さんが来た時のお昼はお寿司と決まっていました。滅多に嫌いな人がいなくて、万人向けなのでそれが習慣になっていたようです。寿司と言っても、お寿司屋さんではなくて、お寺の前にある村で唯一の仕出し屋さんに注文するのです。何人かで連れだって道を歩いていたら、向こうから自転車で走って来る店の人とすれ違ったこともあります。片手には風呂敷包みを持ちながら、懸命にペダルを漕いでいました。田舎なので、村の人たちが気軽に注文できる値段で、そこはウナギでもお弁当でも何でも作ってくれました。子供にとってもお寿司は大歓迎で、ネタがどうのこうのというこだわりなどなくて、ただただ「美味しい食べ物」だと思っていました。そのせいか、今の私が望む最後の晩餐はやはり「寿司」で、できることなら、イクラとアナゴが食べたいのです。イクラにはたいしてこだわりがないのですが、アナゴは甘辛のタレが上に塗ってあるのがいいなあなどと想像すると、お腹が鳴ってしまいます。

 大人になって一番仰天したのは、静岡出身の同僚の言葉でした。彼女はこう言いました、「最初スーパーに並ぶマグロの刺身を見たときは、みんな腐っているのかと思った!」。静岡の港町で育った彼女は小さい頃から新鮮な魚の刺身を食べていたせいか、スーパーの刺身はどう見ても食べ物ではないらしいのです。どうして腐っている魚が売られているのか訳が分からずショックを受けたのでした。この衝撃発言を聞いたその場にいた同僚たちも私同様、口をあんぐりとあけたまま返す言葉が見つかりません。いつも食べていた刺身が実は腐っていたなんて、とても信じられませんでした。でもすぐに彼女が今はそのギャップにも慣れて、美味しいと思えるようになったと言ったのです。それで私たちはホッとして、都会の刺身は腐っているという話はお開きになったのでした。どうやら、すし飯の上に乗っているマグロの刺身は、彼女に言わせると「腐っている」ものらしい、そう思ったら急に今はもう会えない彼女の顔が浮かんできました。

 以前、私の家の近くにある古本屋が店を閉めたと思ったら、今度は釜飯やになりました。店先にバイクが停まっていて、店員が忙しそうに出たり入ったりしています。郵便ポストに入っていたチラシを見ると宅配専門の釜飯やでした。何度か注文していたのですがある時突然閉店して、今度は宅配の寿司屋になりました。店先には美味しそうなマグロのトロや赤身、サーモン、イカ、エビ等の生唾が出そうなくらいの魅力的な写真があって、寿司大好き人間を誘います。パンフレットを見てもやはり美味しそうで、ため息が出てきます。「これは是非とも注文しなければ!」と思い店に電話をしました。実際はどうなのだろう、本当に写真通りのこんな美味しそうな寿司を持ってきてくれるものなのだろうか。内心ではそう疑ってかかっていました。それで、普通のお客さんのようにただ注文するのではなく、一言付け加えたのです。「今日は大事な記念日なので、飛び切り新鮮なネタでお願いします。期待していいですよね」

 要するに思いっきり相手にプレッシャーをかけてしまったわけです。それでも、そんなこと本気にするわけがないだろうと楽観していたら、届いた寿司はパンフレットの写真通りでした。おそらく目いっぱい気合を入れたに違いない寿司は見た目も味も最高でした。寿司の素晴らしさに感激し、味を占めた私はまた注文しようと決めました。次に注文した時は、もう何も言わなくてもわかっていると勝手に思い込み、特に要求はしませんでした。ところが、届いた寿司を見て愕然としてしまいました。最初の時とネタが違いすぎて、見た目も悪かったからです。考えてみると、彼らにとってはこれが普通の仕事なのかもしれないのです。たぶん、何気ない、たわいもない言葉であっても、相手の心に引っ掛かることもあります。その結果、最初の寿司のような素晴らしい物が届く幸運に巡り合えたのです。

 

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