人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

何でも書いてしまう高瀬隼子さん

小説家になったせいでバレてしまう

 朝日新聞の文化欄に芥川賞作家の高瀬隼子さんがエッセイを書いていた。タイトルは「高瀬隼子の『隠す』」で、どれどれと興味津々で読んでみると、たちまち笑い転げてしまった。なぜなら、高瀬さんは自由律俳句のイベントに出席した時についつい自分の癖に関しての俳句を読んでしまった。それがなんと、「目ん玉を無心にほじった後の指、恍惚」で、はて、当方には何のことやらさっぱりわからない。高瀬さんの説明によると、目がかゆい時、かきむしってはいけないと重々わかってはいるが、ついついほじってしまい、その指の匂いを嗅いでしまうというのだ。だが、会場ははてなの渦が巻き起こり、誰もが怪訝な顔をしているのを見て初めて、これって自分だけだったのだと気付いた。皆もやっていると思ったことが、実は自分だけだったと分かったときの気持ちときたら、穴があったら入りたい。「自分にとっての当たり前が他者にとっての非常識だと知るとき、私たちは同じ社会の中で共に暮らしながら、とてもばらばらであると目のあたりにする」と書いている。

 また芥川賞候補にもなった著書「水たまりで息をする」の構想を聞かれたときにも、隠すことなく「私自身、人に会う予定のない日は、3,4日風呂に入らないので、自分の身体が臭いと思ったのがきっかけです」などと答えてしまう。全く隠すということをしないのだ。この人はふつう、こんなこと言ったら絶対変な人に思われてしまうからやめておこうと思うことがないらしい。いや、本人としては恥ずかしいから、ひとには隠してきたと仰ってはいるが、聞かれるとついつい本当のことをしゃべってしまうらしい。

 そう言えば、日経新聞のプロムナードというコラムにも、普通なら隠したいと思うようなことが書いてあった。例えば、畳むのが面倒なので、布団は普段から敷きっぱなしだとか、朝ごはんは食べたり食べなかったりとか、仕事帰りに酎ハイを買って、家に帰って飲んでその日は寝たとか。仮にも早瀬さんは人妻なのに、ずいぶん自由な生活をしているのだなあと正直思っていた。その一方で、意外にも浴室にカビが生え始めたりして、汚れているのが嫌いなので、風呂掃除は入念にするらしい。

 ここで、ひとつ付け加えておくと、早瀬さんはへそのごまを掃除した時の指も嗅ぐのが好きで、皆も絶対そうだと思っていたという。へそのゴマに関しては、私の経験から言うと、子供の頃「あれは取るとお腹が痛くなるからやめなさい」と母に言われて以来、ずうっとやったことがない。なので、そんなことはやりたい人だけやればいい。

 風呂に2,3日入らないということは、毎日入るのが習慣になっている私にとっては軽いめまいを覚えることだったが、考えてみれば、そんなことはどうだっていいことだ。以前、日経の人生相談のコーナーである『悩みのるつぼ』で、「夫が風呂に入らなくて、困っています」という相談があった。これは大いに問題で、到底見過ごせないと私は思った。なんとかして風呂に入って貰わないことには、高瀬さんの小説に出て来る夫のように社会からはみ出してしまうのではないかと危機感さえ抱いた。だが、回答者の脚本家の中園ミホさんは平然と「放っておけば大丈夫、そのうち入るようになるから」と答えていたので、仰天した。さらに、「うちの夫もあまり風呂に入りたがらないけど、たいして臭くないからあまり気にならない」と強調していて、とるに足らないことだと言わんばかりだった。

 実を言うと、私も風呂に入るのがあまり好きではなかったが、コロナ禍のせいで、規則正しい生活をしなくっちゃとそれまでの考えを変えた。毎日風呂に入ることを習慣にすることで、トンネルの先が見えない状況をやり過ごそうとした。面倒臭がり屋の私などは羽目を外せば、どこまでも生活が乱れ放題になるのは明かだ。”生活の乱れは心の乱れ”と誰が言ったか知らないが、心の平安を保つためにまずは形から入っていったのである。そのおかげで、コロナ禍後も何とか狂わずに生きていられる。

mikonacolon