人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

先が見えない時代に断捨離していいの?

 

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▲こんな可憐な花を見たら、きっと暗くなりがちな気持ちがパアッと明るくなります。今ほど植物に感謝する機会もないのではと実感しているところです。

断捨離は必要だったのか

 以前断捨離がブームだった時に、ミシンを捨ててしまいました。通販で買ったものの、まるでおもちゃのようなミシンだったからです。やはり7千円は安すぎたのではと後悔しました。押し入れに追いやっても、視界に入るたびにイラつくのです。それで使えないものは持っていても邪魔なだけだと思って捨てたらすっきりした記憶があります。ところがコロナでマスクが必要になると、手作りしたくてもミシンがないので作れないのです。たとえミシンがあったとしても適当な材料の布がありません。あんなにいっぱい持っていたはずなのに、処分してしまって何も残っていないのです。必要ならお金で買えばいいという考えが常にあったからです。あくまでも仕事をしていれば一定のお金が入ってくるのが前提での行動です。しかし現在のような状況の中でふと思ったのです、断捨離って本当にいいことだらけなのか?と。

捨てずにひとまず保管という選択もあった

 まだ寒くて手作りマスクでも暖かくて十分使えるときに、もし使えないミシンでも手元にあったならと考えてみます。なんでもすぐに捨てたりせずに見えないところにひとまず置いておくという選択肢があってもよかったのだと今なら思えるのです。少なくともマスクぐらいは縫えたかもしれないのです。まさかマスクを作るためにわざわざミシンを購入しようとは考えもしませんでした。だからその場しのぎの苦肉の策でネットでの動画を参考にして、使い捨てマスクを洗って使っています。そしたら手芸が得意な方でもあえて「作らんマスク」派を貫いて、私と同じ行動をしているのだと知りました。今のマスクは使い捨てにするにはもったいないほど丈夫にできているのだと感心しています。それに、もう暑くなってしまった今ではさすがに布マスクを使っている方はいないようです。

防衛本能が強くなったら物を大事にする傾向に

 これから先どうなってしまうのかわからない世の中では、むやみやたらに物を捨てない方が賢明なのではと、ミシンの経験からふと思ったわけです。正直言ってこんな風に考えるなんて思ってもいなかったので、自分でも少し驚いています。何と言っても、ミニマリストに憧れていたわけですから。何もない部屋、物がほとんどない部屋が理想で、ホテルの部屋にいると幸せを感じたほどです。「あなたの今いる部屋があなたの頭の中の状態なのです」なんて言われて、片付けに精を出していた頃が懐かしいです。すべてのことを頭に入れて記憶できるのなら、マンションのモデルルームのようなすっきりした部屋が実現できるのに。ある新聞記者の方が書いていました、「私は断捨離ブームには乗りきれないの。押し入れの中に山のように溜っている取材ノートは過去の私自身だから」と。だからそれらを思い切って捨てるなんてことは到底自分には不可能なのだと。

高齢者の断捨離を考えると

 考えてみれば、世の中には生前整理で断捨離をする方もいるのです。なんでもそれは自分の死後に残された人たちに迷惑をかけないためなのだそうです。今この時を生きるのではなくて自分のいない未来のためにやるのです。今どきの雑誌が高齢者に勧める断捨離が果して人生100年時代にふさわしい生き方なのでしょうか。私の叔母は82歳になるのですがまさに今この時を生きています。俳句、書道、ピアノと多趣味でコーラスクラブの活動で老人ホームの慰問にも精力的に行っています。幼い頃、祖母がよく言っていました、お迎えを待っているのだけれどもなかなか来ないのだと。90歳を過ぎてもう死んでもいい歳なのに元気でいるから死ねないのだというのです。祖母は絶望どころか自分の人生に十分満足していて安らかに死にたいと願っていたのです。そしたら老衰で本当に眠るように逝きました。

 人間の死というのは「一緒に遊んでいたら、片付けもしないで友達が帰ってしまった」ようなものとある本に書いてありました。いつだって親が呼びに来るとすっ飛んで帰ってしまうのだから、とそんな光景を想像すると納得がいきます。

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