人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

引っ越しがもたらした変化

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30cm以上のプラスチック製品はすべて粗大ごみ?

 先日久しぶりに友達とスターバックスのテラス席でお茶をした。電話では何度も話をしてはいるが、ちゃんと顔を見て話すのはなんだか新鮮だった。開口一番、彼女は「もう、大きなゴミ袋は要らなくなったの」と言う。新しく引越した団地ではゴミ置き場があって、今までのようにゴミの日まで後生大事に持っていなくていいのだ。そりゃ、実に羨ましい話で、以前マンションを買って移り住んだ友だちから、その都度ゴミ置き場に持って行けばいいから便利だと聞いたことがあった。団地の敷地にゴミ集積所になっている建物があって、24時間いつでも空いていて、自由にごみを捨てられるようになっている。ただし、捨てられるのは燃えるゴミだけで、生ごみや紙類等とプラスチック容器類の2つに分かれている。それと捨てられるごみの大きさはちょうどスーパーで貰う、いや、もう買えると言ったほうがいいのだが、あのレジ袋程度に限られる。

 捨て方は壁に付いているレバーを引くと箱型の容器が出てきて、その中にごみを入れて、再度レバーを元の状態に戻すだけでOKだった。その話を聞いたら、すぐに小学校の頃2階と3階にある廊下の壁にハンドルが付いていて、「ゴミ」と書かれていたのを思い出した。あれはトンネルのようになっていて1階のゴミ捨て場まで繋がっていた。面倒くさいと思わなければ、いつでも我が家をゴミのない状態に保つことができるらしい。「よかったね、これからは気持ちよく暮せるね」と明るく言ったのに、友人は浮かない顔をする。一体どうしたの?と聞かずにはいられない。

 考えてみると、私たちが普段捨てている燃えるゴミはレジ袋に収まるゴミだけではない。友人は今までゴミ袋に入れられて、口を縛ることができる物なら何でも燃えるごみの日に出していた。実際、元のアパートを出るときは沢山のプラスチック製品をゴミ袋に入れて捨てた。例えば、ゴミ箱、浴室に置いてあった洗濯物を入れるカゴ、トイレが詰まったときに使うゴムのついた道具、トイレを掃除するブラシ、もう要らなくなった突っ張り棒等々、自分でもうんざりするほどあった。だが、これからはこれらを捨てる時は当然、粗大ごみとして捨てることになる。そう思ったら、もう今までのような感覚では物を買うことはできなくなった。古いアパートを出るときに、長いこと使った食器棚やスチールの本棚を粗大ごみに出したので、自然と粗大ごみの料金が頭に入っていた。

 粗大ごみの最低料金は400円で、最高は2千円だった。もっともその値段は地域によって違っていて、ネットで検索したら最低料金が200円に引き下げられた自治体もある。新しく部屋で使うゴミ箱を買いに行った時にふと思った、もしもこのゴミ箱を捨てる時はお金がかかるのだと。どう見ても、目の前にあるごみ箱はあのゴミ捨て場の容器には入りそうもない。となると、お金をかけずに捨てる方法は何かで力を加えて粉砕するしかないのは明らかだ。捨てる時を想像すると、部屋に置くゴミ箱をいくつも買う気にはなれなかった。確かに部屋にゴミ箱があった方が便利だが、床に物を極力置かないように決めれば、ゴミ箱はレジ袋で十分代用できる。そんな風に発想を転換させたら、ゴミ箱はひとつあればいいと思えてきた。なんせ30cmを超える物はひとつにつき400円の料金を払わなければ、目の前から消すことが不可能なのだ。だから生活に必要なものを揃えるときには捨てる時の心配をするようになった。

 新しい団地に移ってからのもう一つの変化は、洗濯物の量が減ったことだった。すぐに気づいたのは台所に寝る前に広げて置いた布巾がすぐ乾いてしまうことだった。そのせいか、手を拭くときに使っているタオル類があまり濡れていないことに気が付いた。前のアパートでは取り換えてもまたすぐにビショビショになっていたというのに、ここでは乾いている!水道の水漏れを直しに来た業者の人がこの部屋は湿気がありすぎると驚いていたが、それにしてもこの違いはいったい何なのか。それは空調設備のせいなのは明らかで、たぶん電気を使っているのだ。そのおかげで、もうカビの鬱陶しさから逃れられそうだが、なんだか複雑な思いだ。

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