人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

図書館から連絡が来た

予約した本の準備完了メールが届いて

 図書館からメールが届いた。予約した本の準備完了のお知らせで、つい2日ほど前にサイトから申し込んでみた。先日新聞に載っていて、60%の人が利用しているというネット予約というものをしてみた。本当にちゃんと連絡をくれるものなのかどうか確かめたかったからだった。たいして期待もしなかったが、ちゃんと取り置きしてくれて、指定した図書館の窓口で受け取れるという。意外にも素早い対応に「へえ、そうだったのか」と変に感激してしまった。もちろん新刊は予約が殺到していて、私がよさそうだと思った千早茜さんの『しろがねの葉』は予約が二百幾つだから、相当に首を長くして待たなければならない。いや、そのうち本を予約したことさえ忘れてしまうのではないか。そう考えた私は早々に予約を取り消した。とても自分の番が来るのを待ってはいられないのだ。

 ”果報は寝て待て”とばかりにひたすら待つことを想像しただけで、なんだか息苦しくなってしまったからだ。まあ、私のこの本に対する思いはその程度のものなのだ。そもそも新刊の予約がいつ始まるかも知らないし、公立図書館のサイトにも詳しいことは載っていない。だが、そんなことが分かったとしても、数冊の本を借りる順番を皆で争うことには変わりはない。こう言ってしまっては身も蓋もないが、早い話、さっさと本屋で買って読めばいいのである。言われなくても私はいつもそうしているが、問題は自分がどうしても読みたい本以外の数多の本については、どうしたものかと言うことだ。

 なんだか良さそうだが、実際は読んで見て、面白くないと感じてしまったらどうしよう、そうなったら、また”積読の山”が増えるだけだ。新聞の新刊の広告の宣伝文句に踊らされて、衝動的に買ってしまった本の残骸が部屋の片隅で私に訴えて来るから堪らない。最近はそれに耐え切れずに押入れの奥深くに追いやったら、爽快な気分になれた。『図書館を利用していますか』という新聞のアンケートに気になる意見が載っていた。50代の女性で、その人はこれまでやたらめったら本を買いあさっていたが、最近自分に合う本が少なくなって来たと感じることが多くなった。それでまずは図書館で借りて試し読みしてから、本屋でその本を買って読むことにしたという。

 これには目から鱗だった。まずは図書館で借りて読んで、それから本屋で買う、だなんてことが本当にできるものなのか。それに図書館で借りて読んでしまったら、もうそれで目的は達成されたのだから、それで私なら任務完了となるのだが。どうやらそれもひとつの図書館利用法のようで、新刊には闇夜に光る明かりに吸い寄せられるように大勢の人が殺到するが、何年もすれば、人は見向きもしないものらしい。それを証拠に今回私が予約した本はついこの間と言ってもいいくらい新聞などで話題になった『村上海賊の娘』だった。なぜこの本を予約したかと言うと、いつのまにか私の頭の中に潜在的に植え付けられた記憶が私にそうさせたというしかない。

 以前いきなり図書館に行って、書棚の森を彷徨っても疲れるだけだったのに懲りて、今回は私も少しは考えた。図書館のサイトにある「簡単検索」という機能を使って、お目当ての本があるかどうか調べてから行くことにした。というより、予約をして目的を持って図書館を最大限に利用することにした。さて、何の本を調べようかと思ったとき、すぐに思い浮かんだのが『村上海賊の娘』だった。少し前に話題になった本だが、果たして図書館なんぞにあるのだろうかと訝りながら、書名を打ち込んで「検索」のアイコンをクリックする。検索結果を見て、驚いた、ちゃんとその本があったからだ。しかも予約ゼロと出ているのが信じられなかった。要するにいつでも借りられるということで、これは期待できるとの予感になんだか嬉しくなった。

 それに味を占めた私はまた別の書名を入力して検索してみた。今度は吉田修一さんの『国宝』で、この小説は以前朝日新聞に連載されていたが、私は読んだり、読まなかったりでとっくに忘れていた存在の小説だった。それなのに記憶の片隅に置き忘れていたかのようにその書名がふと浮かんできた。幸運なことに何と連続してヒットし、こちらもまた予約ゼロのようでいつでも予約OKの状態だった。そう言うわけで、私は本の取り置き完了のメールを図書館から受け取ったのだった。

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