人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

菜食主義者

とんでもない話、こんなことよく書けたなあ、と絶句

 実を言うと、この韓国の作家であるハン・ガンの『菜食主義者』の感想をできる事なら、書きたくないのが正直な気持ちだ。幸か不幸か、この本は自腹で買ったものではなく、図書館の本なのだから、そんなに身の毛がよだつほど不快なら、さっさと返しに行けばいいのだが、それはできない。なぜできないのかと言うと、この本を読んだ時間が惜しいから、もったいないからだ。なので、”元を取る”と言ったら、下世話な話になるが、何としても記録に残しておきたかった。できれば、読まなかった方がよかったと正直思う。出会わなければよかったとさえ思うが、出会ってしまったのだから、もう遅い。『菜食主義者』というタイトルからは、想像もつかないような、摩訶不思議で、おどろおどろした内容に、正直言って、心が疲弊した。途中で、もう無理、と何度も思ったのにも関わらず、それでも、最後まで読んでしまったのは、怖いもの見たさの好奇心からに他ならない。

 さっさと読んで、本を図書館に返しに行って、気持ち悪い世界から解放されたい。そんな思い、いや義務感と言うか、強迫観念に駆られて、今こうしてブログを書いているところだ。書くことによって、汚れ切ってしまった心を洗い流したい、本を読んだ時の衝撃のすべてを払拭したかった。自分の頭から、この本のことを記憶から消し去ってしまうためには、文字にして、発散させるしかない。そうやって初めて、私は次の本に移れる気がする。自分と同じ人間が書いたと思えないようなストーリーに、まるで雷に打たれたような強烈な攻撃を受けて、悶々とした。たかが、一冊の本を読んだくらいのことで、こんな深い傷を負ったのは初めてだ。

 そもそも、この『菜食主義者』という本のことを知ったのは、10年くらい前、韓流ドラマが人気があった頃のことだった。ユチョンさんの『ときめきソンギュンガンスキャンダル』というドラマのオープニングでタイトルがハングル文字で書かれていた。その文字がなんとも不思議で気になりだしたのがきっかけで、ハングルを勉強しようと思い立った。となれば、NHKラジオ講座を利用しない手はない。早速聞き始めたら、偶然やっていたのが、この『菜食主義者』だった。この物語の主人公であるヨンヘは、ある日突然、肉を一切食べなくなった。もちろん、そうなるにはそうなるなりの納得のいく説明がいるのだが、その理由は最後まで明かされない。ただ、彼女が精神を病んでいるのは痛いほどわかる、それに現実の社会は自分もいつそうなってもおかしくない、と私は勝手に解釈していた。

 先ごろ、新聞の書評で、この『菜食主義者』のことが取り上げられているのを目にして、「ああ、あれか」と久しぶりに旧友に出会った気がした。あれなら、また読んで見るのもいいなあ、とそれくらいの軽い気持ちで図書館のサイトで予約した。誰も借りていないようで、すぐに取り置き中の連絡が来た。その本とは旧知の仲のはずだったが、いざ読んで見ると、「なんだ、これは!」と椅子から転げ落ちた。精神的な問題だけでなく、肉体的にも闇が相当深いことが分かった。主人公の若い女性、ヨンヘはついには肉だけでなく、野菜も食べなくなった。「私はもう何も食べなくてもいいの」などと恐ろしいことまで言うようになった。

 「木になりたい」などと、狂人のようなことまで言うようになり、突然、逆立ちをし始める。「なぜ、逆立ちなんか、するの?」と姉が尋ねると、「私、わかったの。木はただ、そこに立っているのではなく、根っこで大地を持ち上げているのよ」などと答えて、姉を困惑させる。妹はもしかしたら、心から死を望んでいるのではないのだろうか。だが、そうだとしても、黙って見ているわけにはいかない、人間として、いや、ヨンヘの姉としては絶対にそんなことはできない。実を言うと、姉の胸中は複雑で、端から察しても痛々しい。それは彼女の夫が、肉を食べなくなって、頭がおかしくなったように見えるヨンヘと関係を持ってしまったから。

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