人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

近所を散策するのが楽しい

今週のお題「外でしたいこと」

なにも遠出をしなくても、幸せはすぐ近くにある

 今、外は植物の宝庫と言ってもいいほどに、賑わいを見せている。冬の間殺風景だった世界が最高潮に盛り上がっている。しかも、頬をくすぐる風さえも心地いい。早朝ならまだ暑くもなく、寒くもない最高のコンディションで散歩ができる。もう少し時間が経てば、すぐに太陽の日差しを眩しく、また鬱陶しく感じてしまうのだろうが、幸いなことに、暫し至福の時間を味わえる。冬の間は裸木で、侘しい限りで見るに堪えなかった樹々の葉が繁茂しているのを見るのは、まるで生命の神秘を、何らかの希望の光をみているようで、とても新鮮だ。散歩の途中にある、ハナミズキが青々とした葉で鬱蒼として来たと思ったら、いつの間にか白い花を咲かせている。その花がなんとも清楚で可憐な花なので、足を止めて眺めている。ただの白い花と言ってしまえばそれまでだが、人を惹きつけずにはいられない魅力がある。

 少し歩みを進めると、今度はピンクと白の模様のハナミズキの花が咲いていて、白い花もいいが、ピンクの花もまた葉の緑とコントラストを奏でていてとても綺麗だ。そう言えば、先日朝日新聞天声人語を読んでいて、気づかされたことがあった。それは、「日露戦争の講和で、労を尽くした米国に尾崎幸雄が感謝を尽くそうと、桜の苗木を3千本贈り、その返礼として米国はハナミズキを送ってきた」との記述で、だが、尾崎のそんな事情を知らない日本人は激怒し、ハナミズキを切り倒してしまったという。そんな逸話がハナミズキにはあるのだと初めて知った。

 こんなにも賑やかな今の風景はかつてあっただろうか。さすがにもう桜は散ってしまたが、道路の端っこには桜の花びらがてんこ盛りにあって、思わず「なんてきれいなの」と私などは心の中で叫んでしまう。あちこちにタンポポの黄色、水仙の白も顔をのぞかせているし、あの盛夏の季節に咲くはずの百日紅までが燃えるようなピンクの花を咲かせている。色彩の饗宴とも言える外の風景は今が見ごろで、「ただの花でしょう」などとうそぶいて、無視してしまうのはもったいなさすぎる。続々とつぼみをのぞかせ、今にも咲き誇ろうとしているツツジも、油断すれば、あっという間に枯れてしまうのはわかっている。まさに花の命は短いのだ。だから、せめてその全盛期を見逃さないようにしたい。

 いつも通る散歩コースの道沿いに製菓専門学校があって、入口の脇にある植え込みはいつも季節の花で彩られている。グリーン中心だが、中には黄色の見事な花を咲かせているラナンキュラスもあるし、もちろんマリーゴールドだってあって、冬の間も寒さにも負けず圧倒的な存在感を放っていた。今注目しているのは、私はそれらがどんな名前か知らないが、パンジーに似た花で、紫の色の配色がなんとも絶妙だなあとじっと見つめてしまう花たちだ。そう言えば、以前郵便局に行った時に、玄関にある植え込みにそれらと同じ種類の花を見かけたことがあった。嬉しいことに、色のバリエーションが豊富で、私たち人間の目を大いに楽しませてくれる。冬の無彩色の世界から、やっと色彩のある色づいた町に変貌を遂げた世界は儚ないが、とても貴重だ。それがほんの少しの間とわかっていても、やはり自然のもの、人工的ではない植物は人にとって不可欠だ。

 歩いていたら、何処からともなく、風に吹かれて桜の花びらが降ってきた。思わず、頭上に目をやっては見たが、近くに桜の木は見当たらない。桜の花のシャワーを浴びたら、きっとうちの姉だったら、ここで一句となるところだが、私には残念ながら何も浮かんではこない。ただ、何とも不思議な心地良い気分に一瞬浸るだけで、すぐに現実世世界に舞い戻るだけのことだ。爽やかな余韻に包まれたまま、いつものように散歩を続ける。足が勝手に歩みを進めるからなのだが、間違いなく私は桜の花びらのシャワーで気分転換をしていた。

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