人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

朝、散歩の途中で

 

ある日、意外な質問をされて

 仕事が休みの日の朝は普段よりゆっくりと散歩をする。あの日も物思いに耽りながら、歩いていたら、前方から自転車を引いた中年の男性がこちらに向かって歩いて來るのが見えた。何のことはない、ただすれ違うだけのことだ、と思っていたら、その人は私に「あのう、すみません」と話しかけてきた。そう言われたので、私はてっきり道でも聞きたいのかと思ったら、なんと、「この木って、何の木なんでしょうねえ。沢山実が生っているけど」と近くにある木を指さしながら尋ねたのだ。その時の私は予期せぬ質問に面食らいながらも、世の中には自分と同じようなことを考えている人もいるのかと嬉しくなった。あの日の散歩コースは、市営団地が立ち並んでいる地域で、そのせいか、都会の小さな公園さながらに緑が豊かだ。散歩をしながら、緑のシャワーを浴びているようなもので、ついつい視線は木々や草花に向かう。

 実は私もこの道を通りながら、見るたびに増えている青い実が気になっていた。この青い実の正体は一体何なのだろうと。大体の見当は付いていた。それは以前家の近くにあるお宅に同じような木があったからなのだが、長年住んでいながら全く気付かなかった。自分の生活にかまけて、忙しさに紛れて、自分の周りの植物になど全く関心がなかった。それなのになぜ、気にするようになったかと言うと、コロナ禍で外に、というか、自分の身近にある自然に目を向けざるを得なくなったのだ。気分転換に外を散歩するようになると、自ずと毎日観察するようになり、小さな変化さえ見逃さなくなった。その木は毎年、と言っても私が知る限りでは3年間だが、春になると白い八重の花が咲いて、まるで雪が降り積もっているように見えた。

 その花を見ても何の花なのかはさっぱり分からなかったが、最後の年に花が散った後、直径3㎝程の青い実が無数になっているのを見つけた。毎年必ず実を付けるわけでもないらしい。なので、「いったいこの木は何なのだろう」と不思議でたまらなかった。翌朝、その木があるお宅を通りすぎようとしたら、仰天した。確かに前日まであんなにたくさんあったはずの実が一つもないではないか。誰かが、ひとつ残らず取って行ったとしか思えない。どうして、何のために、と考えたら、それが何かの役に立つからではないだろうか。そうなると、あの青い実は「梅の実」としか考えられない。いや、これはあくまでも私の勝手な想像で、ネットで調べたわけでも何でもないのだが、勝手にそう思い込んだ。

 それで、自転車を引いて歩いていた中年の男性にも、「たぶん、これは梅の実ではないかと思うんです」と無責任にも答えてしまった。するとその人は「梅の実ですかあ」と疑うこともなく、納得した様子で、「この辺りは緑が豊かで実に気持ちがいいですね」と言う。実はこの男性の服装は傍目からも工事現場の誘導員と思われる制服姿だった。その制服の上に、黄色いばってんのテープが付いているベストを着ていた。でも、なぜその人があんな早朝に好き好んで自転車を引いて歩いているのかはまさしく疑問だった。いくら何でも仕事には早すぎる時間で、もっとゆっくり寝ていればいいものをと余計なおせっかいをしたくなる。きっと早起きが好きな人なのだろうぐらいに思って、そこらへんで好奇心を留めておく方がよさそうだ。

 散歩の帰りに、団地の側にある小さな公園を通りかかったら、その人の姿をまた見かけた。昼間でも滅多に子供の姿を見かけたことはないが、一通りの遊具だけは揃っている、公園とは名ばかりの場所だ。そこであの人は何をしていたかと言うと、エクササイズで、公園にある遊具で懸垂をしていた。私が通りかかったのに気づかないようだったので、ある意味ホッとした。いつもここで見かける風景と言ったら、早朝から若者がベンチ代わりに遊具に座り、おしゃべりをして楽しそうにしている、そんなのばっかりだ。なんとも違和感のある光景に目を背けたくなってしまうのは、私だけだろうか。

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