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健康法

ダラダラ飲みをやめてみたら、食べ物が美味しい

 毎朝読むのが習慣になっている新聞の投稿欄に気になる記事があった。晩酌を始めて、うん十年のその人は67歳の主婦ならぬ、主夫の方だった。おそらく奥さんはまだお勤めをなさっているとお見受けするが、世の男性としてはまだまだ珍しい部類に入るのではないだろうか。それまで彼は毎日『旬の食材をつまみにして、飲む。食事を終えても、テレビを見ながら飲む』ということをくり返していたが、ある時それに嫌気がさした。なぜ、そうなったかは自分でもわからないと言うが、とにかくダラダラいつまでも、酒とのお別れを惜しむような生活をやめることにした。ただ、『食前の一杯だけはいただくと決めた』そうで、すると、『食べ物が実に美味しい』と感じた。

 だが、どうしても口さみしくなってしまう。そんなときは梅湯を飲んで、やり過ごす。『一見、ホット焼酎のお湯割り』のようで、しかも予期せぬ変化が起こった。それは『高かった血圧が3日目に下がった』ことで、『1カ月たった今では降圧剤も飲まずにその数値は安定している』というから目から鱗だ。今まで夜寝る前までダラダラ飲んでいたのが、一転、夕飯を食べて終わりの生活になったので、当然朝は物凄く空腹だ。そのおかげか、『朝飯がこれまたうまい。この気持ちの良さが、一日の始まり』だと感激している。

 まずは、長年のダラダラ飲みをやめてみるのを実行に移したその行動力が素晴らしい。普通は自分の長年の習慣に嫌気がさしたとしても、いつもそう思ってはいても、それをすっぱりやめるなんてことは至難の業だ。意識してやめない限り、習慣というのは、惰性で続いてしまうものだ。その人にとっては長年染みついた習慣から抜ける辛さよりも嫌悪感の方が勝っていたのではないだろうか。楽しみだった晩酌に嫌気がさしたのは、ある意味自分の行動に違和感を感じていて、何か変化が欲しかったからなのかもしれない。決断してみたら、そこにはまるで予想もしなかった素晴らしい景色が広がっていた。要するに健康的で気持ちの良い毎日が待っていたというわけだ。

 私には酒を飲む習慣はないが、その人にとっての酒は私にとっては”お菓子に相当する。たとえば、勉強の合間とか、ある作業の気分転換にちょっとつまむ、ある意味気分転換に食べるものだ。けっしてお腹が空いたからという理由で手が伸びるものではないし、絶対なければならないものでもない。ただ、無いと急に食べたくなる、厄介な存在で、机の引き出しに常時お守りのようにストックしている。あれば、安心し、まるで保険のようなもので、精神衛生上大いに役立っている。以前聞いた話では、甘いものには依存性があり、また食べ過ぎると、イライラして怒りっぽくなるという報告もある。

 最近私は気づいたことがある。それはお菓子に手が伸びる時は小腹が空いているわけでもないのだということで、事実、お菓子を食べたところで満足感は得られなかった。だから、どうしても「これなら最初からご飯を食べればよかったのに」ということになる。要するに、お菓子を食べたいのではなくて、お腹を満たしたいだけなのだと後から思い知るのだ。腹持ちが悪いお菓子やパンなんかではなくて、私に必要なのはお米とおいしいおかずなのだと今更ながら気づく。そう言う面からも腹持ちがいいお米が最優先なのだが、気分転換にたまにはお菓子でも食べようかとなるのが、私の今の日常である。そうなると、スーパーに行っても、お菓子を買おうかという思考回路にはならず、必要な物だけ買って帰ることになる。お菓子はどうでもいいらしい。

 腹持ちという言葉で思い出したのは、ある日の歯医者の先生との雑談だった。その日治療中に偶然、朝飯はごはんを食べるかパンを食べるかという話になった。私は「パンも美味しいけれど、あれは腹持ちが悪いですからねえ。先生は何を食べますか」と尋ねた。すると先生は「僕は朝は食べないんです。基本的に夜しか食べないので、一日一食なんです」と即答したので、私の思考回路は混乱した。そんな話を以前テレビでタレントが堂々と言い放っていたことがあるが、まさか目の前にいる先生がそう言う主義の人だったとは、夢にも思わなかった。まさに青天の霹靂である。夜しか食べない理由として先生があげたのは、3食きちんと食べていたら、体重がとんでもないことになってしまうからだった。要するに、それが先生にとっての健康法だったのだ。

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