人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

お気に入りの食べ物よ、甦れ

今週のお題「復活してほしいもの」

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お気に入りの食べ物が消えたら、私はどうしたら・・・

 恥ずかしい話だが、私は長いこと、食べ物を生きがいにして生きてきた。あそこのスーパーにある惣菜のあれ、とか、角のパン屋にあるあれとか、のたくさんの”あれ”たちを私は生きるよすがとしてきた。食べる楽しみがなかったら、どうやって毎日を生きていいのかわからなかった。食べ物に救いを求めて、お気に入りの物たちを食べている時が一番幸せだった。その時だけは現実を忘れられたからで、ホッとして安心できたからだ。でもお気に入りの食べ物は予告なく突然なくなるのが常で、その時は呆然とするしかない。「明日からどうすればいいのか」と独り言を言ってその場をやり過ごし、少しずつ時間をかけて諦めた。自分の前から消えてしまったものを懐かしがっても、復活するわけもないので埒が明かない。それでまた別の何かを探すしかないとようやく気付く。思えば、そんなことの繰り返しを続けて、今何とか生きているわけだ。

 復活して欲しい食べ物って何だろうと考えてみた。そしたら、若い頃食べて大好きだった、スーパーの惣菜を思い出した。それはソースメンチカツで、今あちこちのスーパーを捜してみてもどこにもない。あれはもう過去の遺物で、すでに忘れられてしまったらしい。ソース味と言っても、ケチャップの甘い味付けで、でも酸味は強くない。きっとウスターソースとケチャップと何か隠し味のようなものを混ぜているのだ。そのソースがメンチカツの衣にたっぷりと掛かっていて、衣はグジョグショになっている。衣にソースの味が浸み込んでいるので、白いご飯と一緒に食べるとなお美味しい。当時はパックに2個入って、298円くらいだった。週に一度は必ず食べていて、私のお気に入りだった。でもある日突然店に行ったら無くなっていたので、仰天した。安くて、あれだけで十分おかずになって、満足できる惣菜なんてそうざらにあるわけもない。

 「あれはどうしてなくなったのですか?」などと店員に聞く勇気などあるはずもない。「困ったなあ、明日からどうしたら・・・」などとぶつぶつ独り言を言うだけで終わりだ。内心では、もしかしたら、ある日突然ソースメンチカツが復活するのではないかと、密かに願っていたが、何年たっても実現しなかった。だから、今ではもう幻で、当時の味も何も思い出せない。ただ、メンチカツをご飯の上に乗せると、ケチャップの赤い色が付いて、まるでチキンライスのような味がしたことだけは覚えている。

 最近、用があってあまり行かないスーパーに立ち寄る機会があった。そこで見つけたのは、メンチカツの甘酢添えで、試しに買ってみたが味は”あれ”とは別ものだった。ソースが醤油味に酸味を効かせたものだったし、メンチカツには部分的にソースが掛かっているだけだった。ケチャップとウスターソースの絶妙な配合のソースが全体的にぐっちょり掛かっている”あれ”には到底及ばない。まあいいか、全く同じものを追い求めているわけではないのだから。あの味をもう一度、だなんて夢にも思わないが、もし当時とそっくりなものが現れたとしたらどうだろうか。人の舌は生きている限り、絶えず変化しているし、人が好ましいと感じる味も歳とともに移り変わる。当時の私が美味しいと感じた味を今の私は同じように味わえるだろうかと考えると、怪しいものだ。だから、実現不可能なことは望まないし、夢を壊さないという意味でも復活はしなくていいのかもしれない。

 冒頭に「長いこと食べ物を生きがいにして生きて来た」と書いたが、現在ではもっと我儘になっている。食べ物よりも心をより求めるようになった。心とは、安心感だったり、平常心とか、何ものにも脅かされない強い心という意味合いがある。物よりも実体のない、目には見えない何かを求めるようになり、それが本当の意味での生きがいになるのだと気付いた。

 

mikonacolon