人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

以前の街並みよ、もう一度

今週のお題「復活してほしいもの」

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激変する街並みにため息ついて

 私なんかがとやかく言うことではないが、最近ご近所の風景があれよあれよという間に変わっていく。もっともそういった傾向はコロナが流行る前からで、何も今に限ったことではない。昔は普通の家だったところが、マンションになったり、あるいは背高のっぽのペンシル住宅に変っていく。テレビのニュースなどで空き家が増えていると話題になっているが、ご近所では古い家が壊されるとすぐに新しい”家もどき”が立つ。”家もどき”とは元は家一軒だったスペースに無理矢理に2軒を建てた積み木のような家のことを指す。間口は狭いが奥行きはあって、横に広げるのは無理なのでひたすら上に伸びるしかない家だ。たいていは駐車スペースがあるのがお決まりで、車がない家には必要ないのではといつも疑問に思う。建売のペンシル住宅で気になるのは、あまりにも窓がないことで、ほんの明り取り程度の窓しかないことだ。あれじゃあ、家の中はさぞかし暗いのではと余計なことを考えてしまう。

 以前疑問に思って、ネットで調べてみたら、関連記事には窓を作ると費用が高くなると書いてあった。それでも積み木を3段に積み上げた家は「これで3980万円?」とため息がつくような値段なのだ。毎日のようにその家の前を通っていたが、想像以上に早く完成したので驚きを隠せなかった。基礎工事を終えると、もう次には家の枠組みを大きなトラックが運んできた。組み立て式だからすぐに外観は出来上がった。後は内装でいくら何でも時間がかかるだろうと思ったが、あっという間に完成した。隣り合った2軒の家は同時に出来上がり、もうすでに買い手が付いたようだった。

 先ほどの家が完成したと思ったら、今度は2,3軒先にある空き家が取り壊された。こちらも同様な家が建つのかと思ったら、少し様子が違うようだ。土台の上に乗せる積み木が立派で、まさに家らしいものだった。何よりも違っていたのは窓が大きくて天井が高いことだった。見るからによさそうな雰囲気が伝わってくる。これなら普通の家と変わりないから文句のつけようがないと思った。それもそのはず売りに出された価格を見たら納得した。なんと6580万円だった!この天文学的な値段の家を一体どんな人が買うのだろうか。でも私の戸惑いなどお構いなしで、すぐに引っ越しのトラックがやって来た。お金はあるところにはあると聞いてはいたが、家が欲しい人にとっては値段など関係ないのかもしれない。

 もう一つ気になるのは、ご近所に昔からあった商店街がなくなりつつあることだ。精肉店、八百屋、金物屋靴屋など、顔なじみの個人商店が軒並み姿を消した。代わりにマンションが建つことになったが、店をそこで新しく再開する人は皆無で皆、どこかに引越してしまった。町から商店がなくなったので、仕方がないのでスーパーに行くしかない。私が一番困ったのは靴で、いつも買っていたお気に入りの靴が手に入らなくなった。その店のオリジナルなので、デパートにもなくて、ネットでも買えないものだ。思えば、その店の主人は親切で、店に品物が並んでいない時は、地下の倉庫に降りて行って在庫を確認してくれた。当初は困り果てたが、どうにかこうにか自分にあった別の靴を見つけることができたのは幸いだった。

 商店街が無くなると、それまで毎年行われていた夏祭りも中止になった。子供も大人も楽しみにしていたビールや焼き鳥、フランクフルトなどの屋台も出ないし、盆踊り大会も開催されなくなった。町としての活気がなくなり、四季の行事がぱったり途絶えてしまった。近くにある小学校からは以前は聞こえてくる音楽でその日は何をしているのかがわかった。運動会にはあのワクワク、ドキドキするようなメロディが聞こえて来たはずなのだが、人によってはあれが煩いと感じるらしい。子供の元気な歓声を快く思えないのはどうしてなのだろうか。誰だって昔は子供だったはずなのに・・・。今の運動会は学校の前を通らない限りはわからないほど、ひっそりとしている。音楽の音量は極力小さめで、周りに配慮しながらなんとかやっている感じだ。こんなんでいいのだろうか?とも思うが難しい問題だ。

mikonacolon