人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

素手でゴミ拾えますか

朝からゴミ拾い、えらいなあと思うが、真似できない

 昨日の朝、いつものように散歩に行ったら、途中でゴミを拾って歩いている人に出会った。その女の人は手にレジ袋とごみを挟むトングを持っていた。そのトングで道端に落ちているお菓子の袋や誰かが落としてそのままになっているマスクなどを拾っては袋に入れている。さすがに素手では躊躇するのだろう、あの道具があれば、自分の手を汚すことなく、ゴミ拾いができる。実を言うと、あの道具の名前がトングだと言うことをネットで検索して初めて知った。ゴミを挟むにはうってつけの道具だが、トングというネーミングには少し戸惑った。トングという言葉で思い浮かべる光景は、以前はよく行っていたが、最近は全く興味がないビュッフェ形式のレストランだ。どの料理のプレートにもトングが置かれていて、「さあ、どうぞ」と客に訴えかけていた。

 それで、食べ物とゴミというなんだか、正反対の物を掴むのに使われることにどうしても違和感を抱いてしまうのだ。こんなことを思うのは私だけかもしれないので、この辺にしておくが、言いたいことは、あのトングを持ち歩くことがなんだか恥ずかしくて、自分にはできないと思うということ。もちろん、ゴミを拾っている人を見かけると、えらいなあと思う。実際、歩いていて道端にゴミが散乱しているのを見かけて、思わず拾おうと手を伸ばしかけたこともある。だが、拾ったゴミをどうしたらいいのか、そのごみを入れる何かの袋さえも持ってはいない。自分には何の用意もない。となると、ゴミ拾いをしようという気持ちは一瞬にして消え失せる。ただ、これからはいつでもゴミを拾えるように、レジ袋を持ち歩こうとは思うのだが、この気持ちを家に帰った途端、嘘のように忘れてしまうのだ。

 トングを持ってゴミ拾いをしている人は、何もしないで、恥ずかしいだなあんてふざけたことを言っている私などとは一線を画している。確固たるポリシーを貫いている人だなあと感心しながら通り過ぎたが、しばらくして、交差点で信号待ちをしている時にまたゴミ拾いをしている女の人と出会ってしまった。最初その人がいったい何をしているのか、分からなかった。その人があちらこちらと動くたびに、リードに引かれているプードル犬も一緒に移動する。よく見ると、その人は素手で路上に落ちているゴミを拾ってビニール袋に入れていた。つまり、その女の人は犬の散歩のついでにゴミ拾いをしていたのだ。以前にも犬の散歩のついでにゴミを拾っている人を見かけたことはあったので、別に珍しくもない。

 だが、その人が彼らと違っていたのは、”ゴミを拾うスタイル”の気配が全くしなかったことだ。大きなゴミ袋も便利な道具であるトングも持ってはいなかった。誰が考えたって、道端に落ちているゴミは汚いと感じるのが普通だ。好き好んで、素手でそれを掴もうとする人はいないだろう。それなのに、敢えて素手でゴミを拾っていることには何らかのこだわりがあるに違いない。トングを使って、手が汚れないようにしてやるのもゴミ拾いには違いないが、素手でやるのとは、意味合いが少し違うのではないだろうか。

 そう言えば、以前新聞に載っていた記事では、週末にひとりでゴミ拾いの活動をしている青年のことが話題になっていた。彼はどうしてゴミ拾いをするのかについては、昔ひどく荒れた時代があって、親や周りの人たちに大変な迷惑をかけたから、その罪滅ぼしのようなものだと答えていた。自分の住んでいる町をゴミが落ちていない環境にすることで、こんな自分でも少しは役に立にたてるのではないかと考えたのだ。彼はゴミを拾う際にはトングを使わず、素手のまま拾う。記者が「それじゃあ、手が汚れてしまうから、トングを使った方がいいのでは・・・」とアドバイスしようとすると、「手が汚れないと、意味がないんです」と答えて、記者を驚かせた。

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