人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

自炊はすでに副業

一瞬何のことか戸惑ったが、すぐに納得

 『3千円の使い方』がベストセラーになった作家、原田ひ香さんのエッセイが日経新聞に載っていた。そこで原田さんは、若い人たちの手取りが昔と比べてほとんど変わっていないことを嘆いていた。30年以上も変わらないとなると、さぞかし生活は厳しいのだと容易に想像がつく。今の物価高にどう抗って行けばいいのかと、考えると、すぐに思い浮かぶのは副業のことだった。昨今は政府までもが会社員の副業を推奨している有様だ。働く時間以外の貴重な余暇の時間を最大限に活用し、収入を得ることが不可欠になってくる。でも、一体全体何をすればいいのだろう、と私などは困り果ててしまう。テレビの情報番組では、空いた時間をハンバーガーショップやカフェで働く人を紹介しているが、果たしてそんなことが、自分にできるのか、そんなに卒なくできるのかという疑問が沸き上がる。そんな簡単に真似はできそうもない。至極当然のことだ。

 そんな戸惑う読者の心を察したのか、原田さんはある提案をしている。まずは身の回りの要らないものを売ることから始めてはどうだろうかと。「身の回りを数カ月かけて綺麗にしていたら、きっと自分の人生に大切なことはなんだろうか、という気付きがあると思う」と勧めているのだ。それから、このそれからが、私にとっては目から鱗で、なんと、『自炊はすでに副業』というのである。このことは原田さん自身、最近耳にした言葉で、聞いた瞬間、ハッとして思わず膝を打ったそうだ。エッセイを読んでいる私は一瞬、唖然となって、何が何だかわからない。まさか、自炊が、あれが副業の部類に入るのか、お金を稼ぐことに繋がるだなんて。どうしてそうなるのか、さっぱりわからなかった。

 自炊が副業なのだと証明されるためには、きっちりとした収支の説明が必要で、毎月どれだけ節約になっているか、数字で示さなければならない。そうなのだ。長い間私はずうっと、自炊は節約だと思っていた、私の周りの友だちもそうだと固く信じていた。例えば、学生街を歩いていたら、「自炊するといいよ。自炊すれば、外食よりもずうっと安く済むよ」と隣にいる友達に囁く声を聞いたことがある。だが、果たして、昔よりもはるかに物価高の折も折の現在において、それは未来永劫変わらない真実なのだろうか。

 先日の朝日新聞天声人語に、「キャベツが400円もするから、買おうかどうか迷った」と書いてあった。著者はコロッケの付け合わせにしようと思って、キャベツを買おうとした。コロッケにキャベツの千切りはつきものだから、それがないとなんか変でしょうぐらいのつもりなのだろうが、そうなるとコロッケとキャベツのどっちがメインかわからなくなる。キャベツがどうしても食べたい人は高くても躊躇なく買うだろう。私なら、別にキャベツでなくても構わないので、家にある他の野菜で済ませるだろうから、買わないでおく。少し前までは200円ぐらいだったキャベツが突然400円にもなると、まさに貴重品で、いつものようにはだだくさには扱えない。一個買って、新聞紙に包んでおけば持つからと、気楽に買っていたが、もう買えない。いつもの味噌汁の具から、キャベツは引退の憂き目にあった。

 本題に戻ると、原田さんは『自炊せずに何でも買って食べていたら、何万円もかかってしまう』と指摘している。そう考えると、自炊はまさに”副業”以外の何ものでもない。その一方で、ぼろ雑巾みたいに疲れ切っている状態での自炊は他に比べるものがないほど辛い。先を見通す冷静さなどとっくに失っているので、当然のことながら、楽な方を選ぶことに迷いなどない。目の前にある出来立てのお総菜がたいして美味しくないと知りながらも、もしかしたらと淡い期待を抱いて、カゴに放り込んでしまうのである。その憂うべき不測の事態に備える対策としては、自分が一番元気な時に総菜を作り置きしておくことに尽きる。私の場合は、献立を考えるのが面倒臭くて堪えられない限界まで来てしまっているので、そんな自分を守る、というか、宥めるためにも不可欠なのである。

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